有名になりたいなら
- 背景:それでも減らない、私も有名になりたいです、の問い合わせ。
- 結論:有名になりたいと思っているうちは有名になれないだろう。
- どうしてこの結論になるのかを説明する形式で書いてみます。
- あなたの周りで有名な人を探してみてください。有名な人は、有名になりたいから有名になったのではなくて、有名になるようなことをしたから有名になったのです。つまり人の記憶に残るようなことをすればいいのです。
- もし有名なピアニストになりたければ、ひたすら練習して自分なりの個性ある演奏方法に到達して、それを徹底的に磨けばいいでしょう。一度聴いた人がもう一度あの演奏を聞きたいと思えるほどの演奏になれば、勝手に有名になっていくでしょう。
- 有名になろうと思って、変にかっこつけてみたりしたところで、それはたいていうまくいかないと思います。真剣に本気で演奏するからこそいいのであって、そしてたとえ有名になっても飽くなき練習をして自分の技術を磨いていくからこそ有名さは続くのであって、ちょっと有名になったくらいで、練習をサボるようになればしばらくしてみんなから忘れられるでしょう。
- 有名になる方法なんていくらでもあると僕は思います。困っている人を助けてもいいですし、今までに無いものを発明してもいいです。・・・共通点は、人がしないこと(できないこと)をやれるかどうかですかねえ。困っている人は他に誰も助けてくれないから困っているんです。そこであなたが手を貸してあげれば、きっと喜ばれてその人の記憶に残ります。あまりにも印象的であれば他の人にもそのときの嬉しさを語るかもしれません。発明も今まで他の人ができなかったことをしたから発明になるのであって、そうでなければただの真似です。スポーツなどの記録更新も同じです。
- でもこれは僕の勝手な想像ですが、有名になるために困っている人を助けるのだとしたら、助けられた人の感動は半減するでしょう。困っている姿を見ていられなくてそれで助けたのだとしたら、なんとお心のおやさしい方、ということになるでしょう。発明も、自分を有名にするために発明したなんていうのは、やっぱり感動半減です。日々の生活でこれができればという強い想いから発明にいたったとか、この発明で不便に思っている人を助けられそうだと思ってやったとか、そういうのがいいと思うんです。
- ということでこれらの動機として有名になりたいというのがあっても構いませんが、それは絶対に他の人に言うべきではありません。もちろん僕にも言うべきではありません。人に言えば言うほど、いいことをしても感動が半減してしまい、有名になるのが遠のくと思います。というか、有名になりたいと思って有名になった人は確かにいると思いますが、有名な人のほとんどは、有名になりたくてなったわけじゃないと思います。
- 有名になるための方法を人に聞いているようじゃ、もうだめだと思いますね。そんなことを他人に言うヒマが合ったら、とにかく前進することです。
- 有名さを手段にしようと思っている人がいます。僕に寄せられる話題で多いのは、有名になって(名誉)教授になるとか、プログラマとして有名になって一流企業に入りたいとかです。この方法は確かに有効かもしれません。でも、そんなのは結局だめになる気がします。
- 仮に何かで有名になって教授になったとしましょう。これは裏を返せば、正攻法では教授になれないから有名になって教授になる、ということなんですよね?ということは、実力が無いということです。実力が無ければ教授になってから苦労するだけです。・・・プログラマとして有名になって一流企業、の話もまったくおなじです。正攻法で入れないから有名になって入りたいんですよね?そんなの仮にうまくいっても数年でクビになるだけです。そんなのが理想なんでしょうか。
- 僕は逆だと思うんです。何かすごい実力があって、その実力のおかげでたまたま有名になって、だから教授になれるんです。逆にいえば、有名にならなくても、その人は実力で教授になれるんです。だから有名さを手段するという発想は全然なってないと思います。プログラマとして有名うんぬんも同じです。だから手段として有名さを使うというのは全くあてにならないと思います。
- もちろん、有名さは手間を省く手段になります。もしすごいプログラムを作ったことで有名なら、プログラムに関する入社試験は免除してもらえるかもしれません。しかし誤解しないでください、これは実力があるから免除されたのであって(つまりどうせやっても合格点をとるのは目に見えているので)有名だから免除されたわけではありません。
こめんと欄