誤解について
前書き
- 誤解って考えると奥深いです。僕が誤解をどう考えているかをまとめました。
誤解してしまったとき
- 僕は、誤解が避けられなかったことを立証できない限りにおいて、謝ります。「これはこうともとれるじゃないか」なんていういいわけは最低だと考えます。こうともとれるということは、そうじゃなく著者の意図どおりにも取れるわけで、あいまいな部分を勝手に補って確認もせずに思い込むのは読み手の責任だと考えます。
- なぜ誤解してしまったのかの説明も、原則としてしません。相手が「どうしてそんな誤解をしてしまったのか教えてください」と促してくれた場合だけ説明します。というか聞いてもいないのに自分は○○だから誤解したんだといういいわけをくどくど聞かされるほど、苦痛なことはありません。
- 誤解が避けられないものであった場合は、それを指摘してできれば直すようにお願いします。しかし文の調子の都合や、相手にも事情があるでしょうから、強要はしません。ただし誤解してしまった僕を強い調子で責めるようなら、誤解を招く文章の修正を要求します。
- たとえ誤解の原因が相手にあったと立証できたとしても、誤解が根拠になっている意見は一度すべて撤回します。
誤解されてしまったとき
- 誤解するのも無理ないなと思うような内容であれば、とにかく謝ります。なぜ僕の表現がまずかったのかをくどくどと説明することはしません。そんなことを聞かされても誤解した人にとってはちっとも面白くありませんから。
- 誤解した非が相手にあると思うのに相手が自発的に謝罪しないことがあるけど、そのことを批判することはしません(教育しなければいけないと感じたときは例外的に批判する)。その程度の人(=誤解による迷惑を軽く考える人)なのかなあと、漠然と失望することはあります。
こめんと欄