地球温暖化 および各種社会問題と僕
- (by K, 20070.06.07)
- 忙しいのに何をやっているんだろう僕は。でも書かないと忘れそうで、気になって他のことが手につかない・・・。
(1) 温暖化対策など
- アメリカが京都議定書を批准していないことはよく知られているけれど、実は批准していたカナダが先日履行を断念した。
- 日本も2008年までに(来年だ!)-6%の予定であるが、現在+8%になっている。日本は仮に達成できなければ排出権を買いあさってでも達成するといっているらしい。本当にそれくらい根性があるのなら、僕はちょっと日本政府を誇りに思う。逆に、もしできないのなら、僕は日本政府おまえもか、みたいな気持ちになると思う(すでに年金の扱いや国債の増え方に失望しているので、むしろああやっぱり的な感想になるかもしれないけど)。
- 京都議定書などで、発展途上国に削減義務が無いのは抜け穴だとか、いや温暖化は先進国の責任なのだから、今の発展途上国に義務を課すのはおかしいなどといった議論がある。僕はどちらの言い分ももっともだと思う。というかむしろ、削減目標が1990年に対して何パーセント削減、みたいな言い方が気に入らない。なぜ人口一人当たり○t/年とかにしないんだろう。・・・つまり発展途上国はそこまでは排出していいのだ。だってそれが平等ってもんだろう。もちろん過去に発展途上国は出してこなかったのだから、その分も貯金として与えよう。
- 先進国はおそらく、今までに100年に出してきた量が尋常じゃないだろう。もしそれと同じ程度まで発展途上国に対して出していいといったら、先進国が今年からまったく二酸化炭素を出さなくても温暖化はとめられなくなってしまうかもしれない。しかし不公平感をなくすにはここは譲れない。・・・ということで、実際は排出してもいいというわけではなく排出権を与えるだけにする。逆に先進国は排出権の借金を持つ。彼らはたとえば2010年までに借金の1割を返済しなければいけないとか、2050年までに50%以上を返済しなければいけないとか、そういう義務があればいい。返済といっても、要は排出権を市場から買うだけである。市場を介せば、妥当な金額になるだろう(とんでもない高値になる可能性もあるが、それは今まで安易に二酸化炭素を排出したツケである)。
- あまりにも排出権が高値で買戻しが困難なら、気が狂ったように植林すればいい。植林してそれで得られた排出権を売ることが一番儲かる職業になるかもしれないし、そうしたらみんなやりまくる。そうなると排出権の売りが増えて買い手が減るから値下がりするだろう。そうしていくうちに妥当な金額になるはずだ。
- 結局、地球が1年間に処理できる二酸化炭素の量はほぼ決まっている(伐採とかをすれば減少することもあるだろうけど)。それをその年の人口で割ったものが人口一人当たりの排出権の配給である。これを誰かに売ってもいいし、使ってもいいだろう。もし使わないし売ることもしないで排出権の券を破いてしまえば、その分だけ温暖化対策したことになる。募金で温暖化対策するのなら、募金で集まったお金で排出権を買い取って破って捨てる、これだけでいい。実に簡単だ。
- 人間が食べるもので二酸化炭素につながるものはたいてい植物か動物である。動物は結局植物を食べて大きくなっているのだから、すべては植物に還元して考えていいだろう。そして植物の有機物は光合成によって空気中の二酸化炭素を使って作っているだけなので、温暖化には寄与しないと考えてもいいだろう。・・・そうすると結局は化石燃料(石炭と石油とガス)だけが問題だ。だからこれらに対し、採掘した段階で含まれる炭素の量に応じて排出権を買わせればいい。排出権を買いたくなければ掘らないことだ。掘った人はきっと元を取りたいだろうから、原油代に排出権代を上乗せして売るだろう。それでいい。
- こうしてしまえば、「二酸化炭素を出しているのにそれに相当する排出権を買っていない」という状況は生じない。むしろ原油を買った人はそれからガソリンを作って、そのガソリンで車を乗り回して二酸化炭素を出しまくってもらってかまわない。火力発電した電気を浪費してもいい。なんかモラル的に不安にも思えるけど、この人はそれだけのお金を払っているんだし、そのお金で植林する人もいるのだから、やっぱり問題は無いと思う。というか多分、浪費を自然にためらうほど、ガソリンも電気代も高くなるだろう。
- 火力発電所から引いた電気は高く、水力発電所の電気は安くなればいい。住民は当然水力発電所から電機を買いたいと思うだろう。火力発電所は徐々に減っていけばいい。もしくは燃焼効率を上げることに多大な研究費を投じても元が取れるだろう。
(2) みんなでやらないと意味がないかもしれないけど
- 温暖化問題や環境問題は「みんなでやらないと意味がない」などとよく言われる。みんながやってくれるなら、自分はやらなくてもいいとさえ思うかもしれない。目的が「温暖化問題の解決」などにあるのなら、確かにそうだろう。
- でも僕はそう思わない性格らしい。みんながやっていなくても、やるべきことであるなら僕はやりたい。一人当たり1日に使っていい電気は1KWhだといわれれば、僕はそれを守りたい。他の人が守っていなくても別にかまわない。結局僕としては地球をよくしようなんて思っていないかもしれない。人類の一員として恥ずかしいことをしたくないだけである。だから温暖化問題の解決は結局ないと決まっていたとしても、そしてそれが前もってわかっていたとしても、僕は節約をやめる気は起きない。
- その代わり、仮に温暖化問題によって人類に危機が訪れたときに、悪いのはお前らであって僕ではない、僕は純粋な被害者だ、お前らは被害者ぶっているけど実は加害者だ、自業自得だ、と心の中でひっそりと思うかもしれない。僕はその程度の人間である。思ったところで何も変わらないんだけど。
こめんと欄