計算ができることよりも大事だと僕が思うこと
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- こんな問題がある:「2つのりんごと3つのみかん、全部でいくつ?」。この問いに対して、かなりの割合の人が「5個」と回答し、しかも違和感を覚えないようだ。ではこの問いではどうだろう?「2台の三輪車と3台のロケット、全部でいくつ?」。
- ものの個数ということで考えれば、もちろん単純に加算すればいいのでそのとおりだ。でも本当にそれでいいのだろうか。たとえば三輪車の台数とロケットの台数の合計を求めなければいけない状況を想像してほしい。これらを同列に考えていいのか。それはそもそもその問題設定に間違いがあるのではないかと疑うべきではないだろうか。りんごとみかんを混ぜていいのかどうかについてもだ。
- たとえばりんごとみかんなら「それぞれをひとつずつ紙皿に置くことにする、さて紙皿はいくつ必要か?」という背景があれば納得はできる。でもそれなら、この計算は本当は紙皿2枚と紙皿3枚の計算であって、りんごとみかんの合計ではない。それにもしりんごが特大サイズなら、りんごは半分ずつお皿にのせるかもしれない。その場合は2x2+3=7になる。
- もしくはたとえばフルーツジュースを作るのかもしれない。その場合は絞ったときの果汁の量を加えるべきで、コップ2杯分とコップ3杯分、合わせて5杯分、とするべきだと思う。そもそもみかんはりんごよりも果汁がたくさんありそうで、だから2+3=5ではすまない気もする。
- このように実際の状況に思いをはせることで、適当に2+3で済ませるよりもより正確な値を導くことができる。
- でも学校では「○個と○個、全部でいくつ?」は足し算で計算する、と一方的に教える。それに意味があるかどうかなんて教えない。これは非常に危険なことだと思う。というのは、この教えのせいなのか、自分の計算が本当に意味あることをしているといえるのか、それは近似でしかないのか、などについて「考えようともしない」からである。
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