問題を解いたのは誰ですか?
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- 豊臣秀吉が大阪城を建てたと一般的には言う。僕はこれを習ったときからどうも気になっている。建てたんじゃなくて建てさせたんじゃないかと。
- だって結局作ったのは実際に工事をした下請けの人だろうし、設計図を書いたのも城建築家の誰かだと思う。秀吉がしたのはたぶん設計に関しておおざっぱな指示を与えただけで、お堀を掘るために土の一杯だって運んではいないだろうし、たたみ一枚だって運び入れていないと思う。
- まあ費用を負担したってのはまず間違いないとは思うんだけど、でも費用を負担したら自分が作ったことになるのかな、それはさすがに違うと思う。
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- 「地球の半径は約6400kmです、赤道の長さはどのくらいですか?」という問題があったとしよう。円周率を知っていればちょっと計算すればすぐに分かるけど、仮に今円周率をど忘れしてしまったとしよう。しかも幸運なことに部屋には半径6.4cmの地球儀があったとする。この状況で問題を解くには、地球儀の赤道の長さを糸を使ってはかりとって、それを定規で測ればいい。・・・糸の長さはおそらく40.2cmだから、答えは4万kmだと分かる。
- このとき、この問題を解いたのは誰だろうと聞かれても、ほとんど困らない。糸と定規を使い、さらに40.2cmを1億倍した人だ。
(2)
- (1)の問題を 円周=半径×2×円周率 で解くこともできる。このとき、暗算で答えを出したら、この問題を解いたのはやっぱり人間である。ここに疑問の余地は無い。また紙と鉛筆で計算したとしても、この問題を解いたのは人間である。
- では計算機(というか電卓)で掛け算したとしたらどうだろう。・・・この場合でも問題を解いたのは、やっぱり人間だと思う(少し不安にはなるけど)。計算機じゃなくてそろばんならもう少し自信を持って、問題を解いたのは人間だといえる。
- さらに進んで、もしやさしい日本語を理解できる人工知能プログラムがあったとしよう。このプログラムに「地球の半径は約6400kmです、赤道の長さはどのくらいですか?」と入力して答えさせた場合、この問題を解いたのは誰だろう?・・・問題文を入力したのは人間だし、人工知能プログラムを書いたのも当然人間だけど、なんか問題を解いたのはプログラムである気がしてくる。しかしこのプログラムだって電卓がちょっと賢くなっただけだから同じじゃないとおかしいといわれるとそんな気もする。
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- 「誰が」問題を解いたといえるのか、なんてどうでもいいじゃないか、と思うかもしれない。まあたいていの場合はこれはあまりに問題にならない。でもなぜ僕がこれを気にするのかというと、たとえば何か犯罪事件があった場合、その罪は誰が負うのか、ってことが気になる。もしくは何かいい業績を残した場合、賞賛されるべきは誰なのか、ということも気になる。それでこんなことを考えている。
- さて話を戻すと、仮に問題文を入力した場合でも入力した人間が解いたと考えるとするなら、ではPCにスキャナーをつけて、OCRソフトで文字を読み取って問題文を自動入力させ、結果を自動でプリントアウトしたらどうだろうか?これでも解いたのは人間だといえるのか。・・・これでもダメなら、PCに手足をつけて自走ロボットにして、スキャナーの代わりにビデオカメラで見たらどうなのか。ロボットになってくると、もはや問題を解くにあたってどこにも人間は出てこない。しいて言えばロボットの製作者だけである。
- この状況でも飽くまで人間を回答者だとするのであれば、つまり道具は問題の回答者たり得ないとするなら、製作者が「問題を解いた人」だということになるが、それならなぜ僕が問題を解いたときに僕の両親や学校の先生が「問題を解いた人」ではないのか。
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- 仮にロボットが問題を解いたと認めても、これですべてが解決するわけではない。というのは、ではどこまでが人間による回答だったのかということである。スキャナーのときはどうだったのか?人間が問題文を入力したときはどうだったのか?そろばんは?電卓は?・・・いやひょっとすると糸や定規が問題を解いたともいえるのではないか?もちろん糸と定規だけで解いたわけではないだろうが、解いた責任というか功績は、糸や定規にもほんの少しはあるのではないか、などと思ってしまうのである。
- 考え始めると難しい。
こめんと欄