技術者と著作者、どっちがえらい?
(1)
- たとえば違法コピーが蔓延している状況に対して、著作者は技術者に対し、「コピーを可能にするようなデバイスを作るな」という。そして作ったやつは(使わなくても)罰してしまえ、と。そして最後には、「技術者どもは、コンテンツが無ければ技術が売れないのに、そのコンテンツに対して全く敬意を払わず、コピーできないよりはできたほうが便利だとばかりにダビング機能をつけている。全くけしからん」とかいう。
- 一方で技術者は言う。何言ってんだよ、技術があるからそういう著作物が作れて、みんなに観賞してもらえるんじゃないか。技術が無かったら、作品を作ることが出来ないし、仮に出来てもお金にはならないんだぞ。技術を悪用するやつはもちろん悪いやつだけど、でも技術者そのものが悪いとか言うなんて暴論もはなはだしい」とかいう。
(2)
- 僕は思う。まず、技術者は著作者に対して、わざわざ配慮してやる道理はない。敬意なんて別に払わなくていい。そうとも技術者はいつだってこういえる。「ああ、そうかい。じゃああんたはもう技術を使った著作物を作らなきゃいいだろ。何もお前に作ってもらうために技術を作ったわけじゃないんだからさ。別に使いたいなら勝手に使ってくれてかまわないけど、使うからには文句を言うなよ。文句があるなら自分で満足いくものを開発すればいいだろ。」
- しかしこれは逆も真なりで、著作者は技術者に対して、わざわざ気を使う必要はない。「ああ、そうかい。じゃあオレはもうあんたの作った機械で使えるような作品は作らないよ。あんたは自分の作ったものがいいものだから使ってもらえていると思っているだろうけど、それはとんでもない思い上がりだよ。著作者がたまたまあんたの機械に対応した作品を多く作ったから、普及したんだよ。それを思い知らせてやるよ。」
(3)
- 僕はこういう決別はいい決別だと思う。だってそうすれば決着がつく(犠牲は出るかもしれないけど)。決着をつける気もないくせに、ぐずぐずいうのはくだらない。平行線になるのが分かっているのにあえて言い続けるのであれば、決着をつけようと挑むべきだ。
- そしてわが身を振り返ってみれば、僕はOSASKにおいていつも決着をつけようと挑んでいる。僕を批判している「口だけ」の人とは違う。
こめんと欄