「めのあたりにする」
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- このページのタイトルは、NHKのある番組で現地取材している人が何気なく言った言葉である。おそらく「目の当たりにする」と言ったつもりなのだろう。番組中での訂正も無かった。
- 僕は最初、NHK〜しっかりしろよー、と心の中でぼやいたんだが、次の瞬間、なにやら間違っているのは僕のほうに思えてきた。
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- なぜ「まのあたり」と呼ばないと非難されるのだろう。こういう特別読みが多いのは日本語としていいことなのか?僕はそうは思わない。複雑な文法にして得をしているのは、文法をマスターするのに時間をかけていない人を小ばかにしようと思っている人くらいだ。究極的なことを言えば、言葉なんて通じればいいのだ。そしてこの人の発言は僕には通じた。だから発言の当初の目的は達成されているのだ。そして小ばかにされないためにこんなものをきちんと覚えることよりも、もっとやるべきことがあるのだろう。それならそれでいいではないか。
- 文法は簡単なほうが絶対にいい。僕たちは複雑な文法を覚えて楽しむために言語を覚えているわけではない。伝えたいことを伝えるために覚えているのだ。日本語なんて文字だけで習得するのに義務教育の9年間を必要としている。これはひどいことだ。英語なんてアルファベットの大文字小文字で52文字だけでやりくりできているじゃないか。それに対して日本語はひらがなカタカナで約100文字、それに漢字が1000文字くらいだ。圧倒的に不利だ。そして漢字がうまく書けないとバカにされる。その時間で教えるべきことはあるんじゃないのか?
- 漢字なんて古文を読むために勉強するくらいの価値でいいんだ(古文といっても昨日の新聞も該当する、というかこの文章すら漢字を使っているわけだけど)。漢字なんて仲間内で知らない人にはわからないようにするための暗号だ。そんなものを他人よりたくさん使えるからって得意になっているやつ(そう、今までの僕もこれに該当する)は反省するべきだ。文字数を減らすための圧縮くらいの価値しかない。
- ぶんしょうをひらがなだけでかいてみるとやたらとまぬけにみえるが、はなしことばとしてきいたときはべつにいわかんはない。これはなぜだろう。けっきょくにほんごがまぬけなんだろう。そんなげんごをまんぞくにつかえていったいなにがえらいんだろう。英語はアルファベットしかないけど、別に間抜けには見えない。
- もし日本語がたとえば16種類の文字だけで構成されていたらどうだろう。たとえばローマ字でもいい。そうすればコンピュータの問題だけに限っても、文字コード問題とか、フォントの問題なんて一度も論点にすらならなかっただろう。テキストエディタだって、全角文字の扱いで悩むことすらなかったはずだ。漢字変換のための苦労も、辞書も要らない。このような問題の解決に費やした時間で他のことを研究していたら、日本はどれほど情報処理で有利になっただろうか。
こめんと欄