なぜ他人に迷惑をかけてはいけないのか
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- 私は両親から「基本的に何をしてもいいけど、他人様の迷惑になることだけはやっちゃいけないよ」と言われてきました、なんていう話はよく耳にする。なぜこんなマナーが生じて定着したのだろう。
- 短絡的に考えてしまえば、他人を蹴落としてでも自分がいいようにする、というほうが、生存競争的には有利そうじゃないか。だからこんなマナーは根拠のない迷信のたぐいではないかと僕は疑っていたのだ(それでも僕は他人に迷惑をかけるのは嫌いだから、迷信だろうと思いつつ従ってきたんだけど)。
- しかし先ほど思いついた。これは結構合理的な根拠がありそうだ。
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- 僕が思うに、他人に迷惑をかけてもいいという人は、その迷惑をかけている人からは当然嫌われるだろう。これは生存競争上は不利だ。嫌われていれば物々交換や物の売買には応じてもらえないだろうし、もし会社などの組織に所属していれば、リストラ時に真っ先に解雇されるだろう。
- 以前僕は感謝しなければ親切にしてもらえなくなるだろうということを書いたけど、迷惑をかけていれば当然親切にはしてもらえない。むしろ機会があれば排除したいと思われるはずだ。これは当然生存競争では不利だ。
- だからそうならないために、「他人様の迷惑になることだけはやっちゃいけない」のだと思う。
- しかしそうだとすれば、迷惑をかけないように注意するべき相手は、全員ではないのかもしれない。自分より強いもの、もしくはせいぜい自分と対等の力を持つものには注意を払うべきだが、集団になってかかってきても怖くない相手であれば、迷惑なんていくらかけても問題ないのかもしれない。
- ここで少し脱線するけど、そうなると低額納税者が高額納税者の迷惑になるのはどうなのかな。つまり少ししか払わないのに、たくさんサービスを受ける。その上、この制度は当然だといったり、もっと高額納税者は負担するべきなんだと主張したりする。これはあきらかに「他人様の迷惑」になっている。しかも実力(お金を稼ぐ能力)は高額納税者のほうがずっと上だ。・・・うーん、これじゃあそのうち圧力をかけられて滅ぼされたとしても、因果応報といわざるをえない気がする。
- しかし、もしかしたら弱いものに対して迷惑をかけることも、場合によっては不利かもしれない。たとえば力の強い者が、個人的な好みで「弱い者いじめをする人」をよく思わない性格だとしよう。この場合、この強い者にこびて、弱い者をいじめていたりすると、この強い者は怒るかもしれない。そうなれば、強い者にこびていた努力は水の泡で、迫害をうけるようになるだろう。
- まとめると、「他人様の迷惑になることだけはやっちゃいけない」は低コストで自衛するための処世術みたいなものだと思う。いつの間にかその理由は忘れられて、結論だけが伝えられてきたのだろう。
こめんと欄