若い人たちへシリーズ(1) 「自分の存在の小ささを忘れちゃいけないと思うよ」
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- このシリーズはかなりひどい目的で書かれています。若い人が若いなーと感じさせるようなことを言ったのを聞いて、それに対して世の中そうじゃないんだよとすごく言いたくなるんだけど、でも僕はそんなえらそうなことを言えるほど経験値が多いわけじゃないし、そもそもよく考えるとそれを今言うべきじゃない気がするわけです(自分の思ったとおりにやってみていい年で、それで成功すれば実に結構だし、仮に失敗してもそこから学べばいい)。
- でもなんかやっぱり誰かに言わないとモヤモヤが消えないので、ここに穴を掘って「王様の耳はロバの耳」と叫ぶわけです。このシリーズはそういう埋めるべきたわごとを集めたものです。読む価値は皆無。
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- 自分は一生懸命にこれを研究した。でも評価してもらえない。一方で明らかに適当に即席でやったことが結構評価される。なんでだよ。・・・とぼやいていたあの人。そうとも結局世の中はそういうものだ。
- 自分がどれだけ苦労したかなんて他の人には関係ないんだよ。努力や苦労が評価の対象になるのは学生の間だけ。大人の世界では結果だけが評価される。しかも誰にでもすぐに分かる結果じゃないと分かってもらえない。この理論があればあれもこれもそれもできる、みたいに膨らませたって、それじゃあみんな通り過ぎるだけ。そんなことよりもその中で一番簡単そうなのを一つでいいから実現して見せればいいんだ。それが従来のものを明らかに上回っていれば、みんな喜んで原理を聞きに来るさ。
- だから最初に出すのは理論じゃない。理論を先に公開するのはせいぜい特許をとるときくらいしておいたらいい。それまでは、求められてもいないうちから理論を公開しても効果はない。それよりも応用して実際に役立つことを示すことを考えたらいい。
- たとえば何か新しいプログラミング言語を作っても、そしてそれが本当に画期的なものであったとしても、それだけじゃ誰も見向きもしないさ。でもその言語でちょっとしたゲームを作るとか、ちょっとした実用ツールを作って、しかもそれが結構いい出来だったとしよう。そうすると、そのソフトで遊んだ人のうちの何人かがソースを見て驚くわけだ。なにこの言語、このゲームがこんなにすっきりかけちゃうのかよ、これってすごくないか?みたいに。
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- こんな世の中を嘆きたいと思うかもしれない。でもこれはこれでいいんだ。というのは、いまや世の中には情報や製品があふれているから。そしてみんなそれが良くても悪くても「とてもすごいです」とか言いまくっている(テレビのCMを見てみれば僕の言っている意味が分かるはずだ)。これじゃあわざわざ本当にいいのかどうか分からないものに手を出す気にはなれない。そんな暇はないのだ。だからいろいろ調べなくても確実にいいものであることを分かりやすく実証されたものだけを相手にする。
- それに自分がちょっとがんばったくらいで注目してもらえるだなんて、そんなに甘くはないさ。みんながいつも君を見守っているわけじゃない。確かに小さいときは両親や兄姉に見守られていて、だからちょっとでもいい事をすればほめられて当たり前だったのかもしれない。でも世の中すべての人が君を見守っているわけじゃないんだ。むしろほとんどの人は君を見ていない。だって君は何人を熱心に見守っている?仮にかなり多めに見積もって100人だとしよう。そしてそれが世界の平均だとしよう。もしその見守りを平等に分配すれば、君は100人に見守られていることになる。たったの100人だ。日本だけでも1億人以上いるのに、そのうちの100人しか見てくれない。0.0001%だ。
- しかも実際は人気者はたくさんの人に見守られているし、普通の人はその分見守られる確率が大幅に減っている。その上実際に100人も熱心に見守っている人はまずいないだろう。だからもっと確率は下がる。
- だから僕は、僕のことを知っている人がいることのほうが驚きだと今でも本気で思っている。初対面なのに知っていて当たり前だなんて思ったことがない。僕の言うことを真に受ける人だってせいぜい数人だろうと思っている。だからOSCでセミナーしてお客さんが一杯に来てくれたときどんなに感激したことか。・・・確かに今では僕もそれなりには注目してもらえるようになった。でも僕はこれが当たり前だなんて思ってない。むしろこれは異常だ。ただのブームだ。明日には終わっていても不思議じゃない。僕はいつもそう思っている。
- そんな考えの僕だから、自分が何か意義あることをしたはずなのに注目されないと嘆くなんて、そりゃあ期待し過ぎもはなはだしいんじゃないかと思うわけだ。
こめんと欄