他人への強要をしたがる人たち
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- アメリカ大統領選挙で、共和党のマケイン候補は、人工中絶の禁止や、同性愛の禁止を政策に盛り込んでいる、と、さっきニュースで言っていた。これを聞いて思ったことを書きたい。
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- 僕は別にアメリカに引っ越す予定はないので、はっきりいって上記の件でアメリカがどういう政策をとってもらっても構わない。っていうか、オバマ候補が当選確実らしいで、そもそも上記は今後数年は政策に上らないのかもしれない。まあそれもどうだっていい。
- 僕が不満に思うのは、人工中絶や同性愛を禁止するというのはどういうことなんだろうかということだ。同性愛なんて禁止してどんなメリットがあるんだろう。もし自分が同性愛者だとしたら禁止して欲しいなんて多分言わないだろうから、きっと禁止して欲しいとか言っているのは異性愛者なのだろう。でもそれは他人の問題じゃないか。同性愛を禁止しないと、自分が同性愛を強要されるのか?いやいやそんなことはないだろう。そうであれば、他人が誰を好きになろうがどうでもいいじゃないか。
- 中絶も同じだ。中絶を禁止しないと自分が意に反して中絶しなければいけなくなるのか?そんなバカな。他人が自分の意思で中絶したいというならすればいいじゃないか。それでいったいどんな損があるというのか。禁止にしなければいけない意味が分からない。
(2)
- そういう意味では異教徒の弾圧も似ている。聖地の取り合いなどはまだわからないでもない。しかし聖地の取り合いでもないのに単に信じる神様が違うからといって、弾圧が起きたりすることもある。なぜ排除しなければいけないのか。異教徒は悪魔にだまされ、いもしない神様を信仰しているのかもしれない。しかしそれがどうだというのだ。いもしない神様を信じて損をするのは異教徒だ。なんのご利益(ごりやく)もないから。
(3)
- なぜ他人が自分と同じような信条を持たなくてはいけないのか。というか、禁止や強制などで信条を無理に同じにしても、それは偽物なんじゃないのか。たとえば自分の愛する人が実は同性愛者で、でも同性愛が禁止されているので仕方なく結婚に応じた、なんていうのがうれしいのか?うれしいやつはバカじゃないのか?そんなもののどこが相思相愛なのだ。そうじゃなくて、同性愛も認めておいて、それでも同性愛に走らない人の中から一番いい人を探せばいいじゃないか。そうすれば相思相愛は間違いなく本物だ。
- 宗教弾圧も同じだ。本当は違う神様を信じているのに、仕方なく同じ神様を信じているフリをするような人が信者に加わったところで何がうれしい?そうでもしないと信者が増えないほど君たちの宗教は危機的なのか?そんなことをして恥ずかしくないのか。
こめんと欄