「一人の愚か者がもたらす被害は一人の天才がもたらす恩恵よりも大きい」という仮説
(1)
- 名医は大変な手間と時間をかけて難病を治し、けがを治療する。しかし犯罪者は、ほんの数分で人を殺したり重傷を負わせたりする。
- 二酸化炭素排出にしてもそうだ。僕たちが節約して排出量を1割削減できたとしよう。しかし愚か者が排出量を2にすれば、僕たち10人の努力がたった一人の愚か者の行為で相殺されることになる。
- 財政再建だってそうだ。各省庁が苦労して無駄を削って歳出を削っても、どこかで無駄な大型公共事業を一つやれば、それは簡単に打ち消される。
- 100万円の貯金を作るのに何ヶ月・何年もかかるのに、使おうと思えば数日で使えてしまう(たとえば超高級なホテルに泊まればすぐになくなる)。
- プログラムでも似たようなことはいえると思う。バグのないプログラムを書くのはとても大変だけど、不注意なプログラマが作った、たった一つのバグがすべてを台無しにしてくれる。
- 掲示板の運営でも同じだ。たった一人の心無い荒らしに対処するために、管理者や周囲の人たちがどれほど苦労させられるか。
- つまり物事をよくするのは大変なのに、悪くするのはすごく簡単だ、ということを僕は言いたい。これはつまり、僕たちがエントロピーが少ない状態を「いい」と思っているということだろうか。
(2)
- この仮定が正しいのだとしたら、天才を一人生み出すよりも、愚か者を一人追放するほうが、効率がいいのだろうか。そうだとしたら、教育も「いくらかの脱落者が出てもエリートを生み出すためにはやむをえない」という教育よりも「エリートなんてほとんど出てこなくてもいいから、とにかく最低ラインを引き上げる」ような教育のほうが結局は効率がいいのだろうか。
(3)
- 僕たちは一般に、小学校・中学校の教育を取るに足らないものだと思っている。義務教育なんだからそれくらいはできる、くらいに思っている。しかしそれは実は大きな間違いだ。たとえば有名私立高校の入学試験というものがある。あれはいくら難しいとは言っても、かならず中学までの学習範囲で解ける問題だけで構成されている。ではそのテストを僕たちは解けるのか。まあ僕は多分そこそこ解けると思うけど(家庭教師をしてたくらいだし)、でも満点を取る自信はない。
- 世間では分数の足し算引き算すら怪しいという人が少なくないし、義務教育の範囲内の漢字が読めないという人だっている。中学英語レベルの英文でも読めない人はたくさんいる。僕はもともと義務教育で教わる内容の是非ついては大いに懐疑的だけど、それとこれとは話が別で、つまり義務教育などといっておきながら、結局全然国民の身についていないというのは、本当にそれでいいのか。問題は今の子供たちだけじゃない、僕たち大人もだ。もしこれらの知識が日本で生活するうえで必要なものだと文部科学省が信じているのなら、なぜそれは子供たちだけにか教育しないのか。それは絶対におかしい。成人したひとにも当然科されるべきじゃないのか。
- これは義務教育の内容を本当に必要で重要なものに改正していく、という前提が付くけれど、こんなのはどうだろうか。国民は毎年試験を受ける。これは義務教育の範囲内でしか出題されない。そして8割未満の点数しか取れないようなら(というか本来は満点であるべきなのだから、もっと合格ラインを上げてもいいかもしれない)、その年は投票権を剥奪し、生活保護も与えない、年金も給付しない。罰則的な税率にする。これはつまり、愚か者を追放しようとしている。ただ暮らしにくくしているだけで、本当に強制退去させるわけではない。だってもし特殊な能力を持っていて、被害を上回る利益を提供できるのなら(つまり高い税率でも難なく暮らせるほどなら)なにも追放することはないからだ。
- 合格ライン制はよくないな。単純に合計の得点率(0〜100%)に対して、生活保護給付額、年金給付額を比例させればいいんだ。投票も50%なら0.50票でカウント。
- これは格差を広げるだろうか。いや僕はそうは思わない。そもそも義務教育の範囲の学力がないというのはどういうことなのか。この国で社会生活していくうえでの最低限度の知恵も知識もないということになりはしないか。そんな人でも保証しなきゃいけないのか。そんなこといっていたらきりがないじゃないか。政府が「これだけの能力があれば最低限度の暮らしは保証します」といって何が悪い。政府は義務教育の内容にそれだけの責任を持っているのだ。そしてその能力を身につけようとしない人、身に付けられなかった人まで、どうして面倒を見ないといけないのか。政府はそんな見栄を張る余裕があるのか。
- じゃあイヌやネコとの違いはなんなのだ。DNAに人間かどうかを決める因子があって、それが含まれていれば、そして国内でその子供が生まれたら日本政府は一生その生物の生活を保証しなければいけないのか。そんなのおかしい。むしろ、機械だろうと外国人だろうと動物だろうと宇宙人だろうと、とにかくその試験をパスしてしかるべき義務(納税など)を果たしてくれるのなら、誰だっていいじゃないか。どちらかが日本人じゃなきゃいけないなんて、まるでユダヤ教と同じじゃないか。そんなの宗教でしかない。
- だから、試験の得点率こそが「日本人適合率」なのであって、そこから外れた人がどんなに豊かでも貧しくても格差問題とは関係はない。これを格差だというのなら、日本に住んでいる外国人が生活に苦労しているのはなぜ格差じゃないのか。彼らが格差問題の対象とされていないのは、実に日本人のDNAが入っていないというだけなんだぞ。そんなことで差別して何がうれしいのか。そんな血筋や家柄で差別するのがまともな政府のやることなのか。そうじゃないだろう、能力さえあれば血筋や家柄なんて関係ないっていうのがあるべき姿じゃないのか。
- たぶんこの制度にしたら僕たち(試験で十分な点数が取れる人たち)の税金はたぶんかなり安くなる。政治も人気取りだけじゃろくな票数は取れないから、結構まともになる。義務教育で何を教えるべきかっていうのももっとまじめに考えるようになるだろう。
(4)
- この定期的な試験の仕組みはプログラミングにも応用できないだろうか。正常なプログラムは、定期的にシステムに対して何か決まったメッセージを送る(システムからもらった数値に1足した値を返すとか)。システムはそれを見て、このプロセスは落ちていないなと判断する。ページ保護やセグメンテーションによって守られるのは、いわば他人の領土を侵略していないというだけであって、CPU時間を浪費(=落ちている)したかどうかは分からない。
- このシステムへの生存報告も、あまり頻度が高いようなら異常だと分かる。ちゃんとタイマーを見てない。・・・うーん、まだ全然まとまってないけど、なんかこのアルゴリズムは使えないだろうか・・・。
こめんと欄