学校はろくなことを教えていない
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- 学校はろくなことを教えていない。義務教育でもその後の高等教育でも何でもいいが、学校に通えば、将来稼げるようになるのか?知りたいことをどのくらい教えてくれたか。知りたくないことをどれだけ押し付けられたか。どれだけ苦痛だったか。
- 分数の計算ができないとか、漢字の書き取りができないとか、そんなのどうだっていいんだ。そんなの分かってなんになる?・・・それよりも、安くていいものをどうやって選んで買うかとか、そもそも安くていい物を選んで買うことが単に個人の利益になるばかりではなく市場競争経済においてどれだけプラスになるかなど、そういうことを教えるべきだと僕は思うのだけど、そんなことは誰も教えてくれない。
- 二次方程式の解き方なんて、クラスのうちの何人かが趣味で知っていて自慢できる程度で十分なんだ。ドラクエのクリアが早くできた、くらいの価値しかない。国民全員が知っている必要なんてない。実際二次方程式が解けない大人なんて掃いて捨てるほどいると思うが、彼らの多くは実生活で何一つ不自由してないはずだ。知っていても失業で明日の生活すらどうなるか分からない、という人だっているかもしれない。
- そんなことよりも、僕は税金の計算方法を知りたかった。なぜ実際に自分が稼いで納税する段階になってやっと教えるんだ?これこそ国民に共通に必要になる知識じゃないのか?もしそうじゃないというのなら、税金なんか取る資格は政府にない。
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- 教員免許をもっていたり、また僕自身が今や教育する側にいるので、このページに書いてあることは結局は自己批判でしかない。しかし本当にひどい。自分が生徒や学生に半ば強制的に無理強いして教えたことがあったとしよう。しかしそれなのに就職が決まらない、とかいって学生が苦労しているのを見て何か思わないのだろうか。そうとも、学生は就職したいのだ。経済的に独立したいのだ。それなのに、自分が教えていることがその助けになっていないことを恥ずかしく思わないのか?彼ら・彼女らは、被害者なのだ。我々は加害者だ。その意識があるのか?
- まあ高等教育はまだいい。というのは、本人が希望しなければ学校に来なくてもいいという建前があるから。どんなにひどいことを教えていたって、どんなに役立たずなことを教えていたって、「いやでも学生が自ら進んで教えてくれというのだからしょうがないじゃないですか」くらいの言い訳が可能だ。まあこんなのは詭弁ではあるのだが。
- しかし義務教育は違う。親には我が子を学校に行かせる義務があるから、子供には選択の余地がない。そして教育指導要領などというものがあって、それを教えていればそれで教師の責任は回避される。では指導要領を作った役人どもが責任を取るのかといえば、全然そんなことはない。それはゆとり教育の見直しで誰も謝罪しなかったことからも明らかだ。もちろん謝罪ですむ問題とは思えないが、一体何人の人生が台無しになったのだろう。責任を感じているのだろうか。国策の失敗による被害者なのだから、僕は被爆者級の保証があってしかるべきだと思うのだけれど、誰に何も言わない。
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- 政府はこのシステムがうまく行っていないことを自覚するべきだ。そして指導要領を徐々に廃止する方向に進めるべきだ。この指導要領に書かれていないことを教えてはいけない、などという記述は絶対に許されない。「もし教師が無能で自分で授業計画を立てられないんだったらこれを参考にしろ、それが指導要領だ」で十分だろう。そして指導要領が間違っていても政府はその責を負いませんと明記しろ。現状では実際そうなっているわけだし、それを明記すればこれがいかにいい加減なものかがはっきりするだろう。
- そして教師はもっと創意工夫しろ。何を教えるべきかを自分で考えろ。そして教える内容に責任を持て。もし責任がもてないのなら、その授業は必修科目にするな。自由に選べるのに来たというのなら、それは本当に児童生徒学生の自己責任になる。
- そして児童生徒学生の諸君よ。現在の教育はこれほど腐っているので、勉強がd系無いことそのものを恥じる必要は全くない。今の教育は実生活の役に立たないことをどれだけ覚えるかというゲームの競争になっていて(まあ英語教育とか算数の足し算引き算掛け算割り算くらいは有用かな)、それで成績が決まり、進学就職が決まるようになっている。得意ならそれはそれで結構だけど、できなくてもそんなにがっかりすることはない。
- それよりも、自分がこれから生きていくためには何ができるようになっていなければいけないか、それを考えて、そのために何をしたらいいのかを考えるべきだ。プログラミングの勉強をするのもいいだろう。アルバイトをしてみるのもいいかもしれない。世間にどんな職業があるのかを調べてみるのもいいかもしれない。
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- もし僕が親になったら、僕は我が子に学校に行くのを強制しない。まあ友達を作るとか、世間の人達が共通の体験としてこんなところへ行っているんだ、という程度の体験がしたいなら行くといいよ、という程度だ。
- 代わりに僕は「これは将来役立つ」と確信することを直接自分で教える。また本人の希望を聞いて、その勉強をするためにどうしたらいいかの相談にも乗る。僕はそういう親になりたいし、親はそうあるべきだとも思っている。学校は全く当てにできない(責任を取ろうとしない時点で、あてにできるはずは無いんだけど)。
こめんと欄