OSASK-WikiのKの落書きの過去ログ
- 本家:OSA:K
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適当に作ったQ&A(2) -- OSASKはだめか?
- OSASKはだめだ
- こういう意見を言う人はたいてい理由を書いています。その理由を見てみてください。それは他のOSでできることを書いているだけです。その人は他のOS使っていればいいのであって、OSASKを使う必要はありません。
- OSASKは僕が感じた不満を解消するためのものであって、それは他のOSでは解決できなかったのです。OSASKに全てを求めたいのかもしれませんが、僕はそれは最後にやればいいことだと考えていて、当面は、自分が感じた不満(=他のOSでは実現しにくいこと)を解消できる方向を優先します。
- 小さいことはどうでもいいとか、速いことはどうでもいいとか、まあよくそんなことを力説しているなと思いますが、それはあなたのOS観であって、みんなのOS観ではありません。たしかにあなたのように考えている人もそれなりにおられるでしょう。しかし、あなたがどんなにしきりにOSASKを否定しても、僕は外部の人と会う(たとえば慶応大学での授業やオープンソースカンファレンス)とか雑誌で記事を書くとか、するたびにOSASKを紹介する必要に迫られ、そしてそのつど9割を超える人に大変に誉められています(最近の例ではオープンソースカンファレンス2004を参照)。僕はこの路線が(珍しさが最大の理由かもしれませんが)高く評価されていると、自分では感じています。世の中が見えていないのはいったいどちらなんでしょうか。
- OSがサービスする相手はユーザではなくプログラマだ
- そしてこのあとに、だからコンパクトとか速さを要求するOSASKはプログラマの負担を強いるのでだめだ、と続くわけです。
- まあクロス開発ばかりで、OSを使う気が無いプログラマならその論法でもいいかもしれませんが、僕はOSASKを使いたいのです。作る時間よりも、使う時間のほうが長くあってほしいです。僕は使うためにOSを作っているのであって、作るときは快適だけど、使うときは不快なOSには全く関心がありません。どうせ苦労するなら、作るときだけにしたいです。
- 大昔はOSはプログラマだけが使っていたかもしれませんが(というか、あまりのソフトの少なさのため、プログラマではないとコンピュータを使えなかった)、今はOSを利用するユーザの過半数は非プログラマです。それを一番意識するという考えそのものは悪くないでしょう。だからこの点に関しては僕のほうが時代が見えていると思います(OSASKの場合そういう時代背景を意識することなく、単に自分自身をユーザにしたかったからですが)。
- OSASKはプログラマに対して不親切か?
- OSASKは「小さくて速いアプリ」を作ろうと思う限りにおいては、高品質のサービスを提供できていると思います。つまり小さくて速いアプリを作りたいと思う限りにおいては、どのOSよりも「楽」できます。一方で、単に自分のつけたい機能を一通りくっつけてしまえばいいや的なプログラムをしたい場合、OSASKは全然サービスがよくありません。でもそういうことがしたい人は、他のOSでできますからそちらを使っていただければご満足いただけると思います。木を切るためにはさみを使うとか、糸を切るために電動のこぎりを使うのはおかしいことです。それぞれに用途があり、それ向けにできているのであって、はさみに向かって、これは木が切れないからだめなはさみだと言ってみても始まらないと僕は思います。
- もちろん、OSASKに他のOS風のライブラリをくっつけたり、もしくはそれ以上のものを考案して、プログラマにもやさしくできるとは思います。しかしそうやってできるプログラムは、それ相応のものになるでしょう。つまり他のOSと同程度のでかさのアプリで、同じくらい遅いということです。だったらOSASKアプリである必然性が(現状では)ないじゃないですか。それに僕はそんなアプリはあっても使う気が無いので(それで我慢できるような僕であれば、わざわざ苦労してOSなんて作りませんよ)、そういう方向を推奨しないだけです。推奨しないだけであって、問題なくできるとは思います。
- 今のOSASKアプリの書き方は、世間一般のOSでの作法とは異なります。しかし、だからといってOSASKでのプログラミングのほうが大変だということにはなりません。日本語と英語は違う言語ですが、日本人は英語が難しいといい、イギリス人は日本語が難しいといっているような状況もありえます。
- この件に関して僕が言えることは、Windowsプログラミングが難しくてよくわからないという人でもOSASKアプリが作れたという例が多くあるということと、逆に、OSASKアプリに挫折したけどWindowsアプリはできたという人は今のところ聞いたことがないということです。ただし、これはGUIアプリに限った話で、(printf程度の)CUIだったらWindowsやLinuxでできないという人はまずいないと思います。また、初心者が最初に志す割合もwin32が一番多いわけで、これは平等な比較ではないと思います。
- アプリケーション数がOSのユーザ数を増やすのだ
- それは僕の考えとは異なります。キラーアプリさえあれば、ユーザは増えます。どうでもいいアプリが増えたところで、OSのユーザ数はほとんど変わりません。もちろん、どんなアプリがキラーアプリになるかは、人それぞれかもしれません。しかしだからといって下手な鉄砲数うちゃ当たる的な発想は、僕にはありません。
- OSASKの場合、素直にプログラミングしている限りにおいては、何を移植しても世界最速とか世界最小の座に君臨できます(まあ移植といってもリメイクに近い気がしますが)。たとえば世界最小の五択ゲームとか、世界最小のさめがめとか、そういうことです。小さいことや速いことがどうでもいいと思う人は、こんなことには関心を持たないと思いますが、そもそも現在のOSASKが想定しているユーザ層からかけ離れているので、僕はそういう人はどうでもいいのです。そして、速さや小ささを「かっこいい」とか「便利で快適」だと思う人にとっては、これらのアプリは非常にキラーです。
- 一方、他のOSでの状況を考えてみましょう。他のOSは、何らかのアプリケーションをそのOSに移植しても、特徴は増えません。ついに○○OSでもあのソフトが動いた、というだけです(例外としてたとえば64bitのOSなら、32bitからの移植によって64bit化されて高速になるとか、ワークエリアを4GB以上使えるようになってかしこくなるとか、そういうことはありえます)。何を移植しても付加価値がついてキラーになりうるOSASKと、そうではないOSとの差です。
- そしてユーザ数が増えるから、プログラマも寄ってくるのです。もしユーザが数人しかいないとなれば、プログラムを作る気はあまり起きません。しかしユーザが多ければ、作る気になります。一般的なOSにあっては、「ごく一部のキラーアプリがユーザを増やし」「そのユーザ数をあてにしてアプリがたくさん開発される」という図式が普通なんだと思います。アプリが多ければいいというわけではないと思います。一方で、OSASKは「ほとんどがキラーアプリになるので相対的に少ないアプリ数でも有利にユーザを増やし」「そのユーザ数をあてにしてアプリが開発されるが、それは高い割合でまたキラーアプリになる」ということだと思います。
- 「いやOSASKアプリは全然増えてない」とかいいたくなるかもしれませんが、僕は僕以外の人が作るOSASKアプリ数が、ぐんぐん伸びていると感じています。質もハイレベルなものが増えてきました。