よい自然言語とは?
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- インチやフィートやマイルの単位系、寸や尺や里という単位系は、メートル法に比べて明らかに劣っていると思う。単位変換が全然容易ではないから。・・・これと同じような観点で、自然言語を考えてみたい。
- 自然言語というのは、プログラミング言語ではない普通の言語のことである。日本語とか英語とか。
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- 理想的な自然言語は以下の条件を満たしていると信じる。
- 文字:
- (他の言語と比較して)表記に必要な文字種が少ない。
- 画数が少なく、書きやすい。
- 逆さになっていたり、鏡面になっていたりしても、誤読しない工夫がある(たとえは"6"と"9"みたいな文字はよくない)。
- 語彙・文法:
- 基本語彙が少なくて合成語が多い。
- (他の言語と比較して)文章が短い(同じ内容で)。
- 同音異義語が皆無か、もしくは非常に少ない。
- 動詞などが変化しないか、もしくは変化するにしても完全に規則的である。
- 副詞や形容詞がどの語に係っているか紛らわしくない。
- 発音:
- 難しい発音がない。似ている発音もない。
- 単語ごとに発音記号を辞書に書かなければいけないということはない。
(2)
- これを完全に満たすわけではないけど、一番近いのはエスペラント語?
- 参考になりそうなリンク:
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- ここからが、このページを書くことにした最大の動機である。
- 僕はNHKの「ことばおじさん」の番組が好きでとてもよく見ているのだが、日本語の複雑さや難しさを「いいですね」と言っていることに非常に違和感を覚える。
- そんなに難しい例を出すまでもなく、日本語には漢字があり、これが小学校で習う範囲だけでも1000文字くらいはある。ひらがなとカタカナをあわせれば1100文字にはなるだろう。全部ひらがなだけの文章は読む気がしないから、まあ日本語としてはこの1100文字くらいは必要だと仮定すると、これは理想の言語からは程遠い。これはどちらかといえば恥ずべきことなんだと思う。
- また漢字一文字取っても読み方がいくつもある。「魚」という漢字は、「ぎょ」という音読み(中国語由来)だけではなく「うお」とか「さかな」とかいう当て字である。これは、たとえば「fish」を「さかな」と読ませるようなやり方がベースになっている。文字と意味をもらって読み方を与えた感じだ。・・・この結果、ひとつの単語が前後関係により違う読み方をすることになり、日本語にも発音記号に相当する「ふりがな」が必要になっている。
- 日本語は言語としては非常に腐っていることを自覚すべきだ。というか僕はこんな日本語くらいしか満足に扱えない自分をとても恥ずかしく思う。全然誇れない。・・・日本語には歴史があるから、その点だけは誇っていいかもしれないけど、それは「フィートは足の長さを基にしてできた単位なんですよ」程度の意味しかない。いくら日本や日本の文化を愛しているとしても、日本語が理想の言語としては他の言語よりもはるかに劣るのは明白だから、これを「いいもの」だとはいえない。いやはっきりと劣っていると認めざるを得ない。そして僕としては劣っているものを誇ることはできない。
- 扱いにくい単位系をあえて使うと、単位の換算に余計な労力を使うから、その分だけ非生産的である。同じように、こんな劣った言語で苦労すると(敬語の使い方とか、らぬきことばはいけないとか、漢字の書き取りテストの勉強時間とか、みんな少しは苦労したことがあるはず)その分時間を無駄にするだけでいいことはない。その時間をほかの事に使ったらきっともっとよくなるはずである。
- もちろん日本の文化をなくしてしまえとはいっていない。今の現代語を「古文2」とでもして残しておくべきだ。でも日本が寸・尺・里を古い文章の中に封印したように、そして口語と文語を統一(というか口語に一本化した)ように、今の日本語もやがては日常会話から葬り去られる「べき」ものである。それができないようなら、日本語は生き残ることはないだろう(たぶん英語にのっとられる)。まあどちらにせよ今の日本語は消えることに違いはないんだけど。
- そしてこんなダメな日本語をさしたる考えもないまま「すばらしいですね」とかいうことは、日本語の改良を妨げるだけだ。ダメなものをダメといわないのは非生産的である。→boyaki_a/00031の(2)
こめんと欄