OSASK-IRCへの個人的な批判
(0) 結論
- OSASK-IRCの質の低下が著しいと僕には思える。それはもちろんメンバーの意識が低下したためである(もしくはもともと低かったけどそれが表面化しなかったため)。こんな状態でOSASKの名を冠したIRCを維持するのは僕には責任が取れない。
- それゆえ約1週間の観察の後に、OSASK-IRCから「川合秀実推奨」をはずすかどうかを決め、はずす場合は僕は基本的にログインしないことにしようと思う。
- 結果として#osaskは存続できなくなるかもしれないが(背景参照)、それならそれでかまわない。
- このページの内容について意見を言いたい場合は、下のこめんと欄にどうぞ。まあIRCで書きなぐってくれてもいいですが、こめんと欄に書くほうが他の人にはわかりやすいでしょう。
(1) 背景
(2) きっかけ
- そんな中、昨日はかなりひどかったように思う。まず毎度のように「最近は発言が少ないですね」的な発言があった。僕にはこれが何を意図しているのかよく分からない。発言が少ないのは、言うべきことが無いからであり、むしろおかしいのは言うべきことが無いくせに来ている「あなた」なのではないかと。もし誰かの発言を聞きたいのなら、その人に質問などを投げかけるべきだし、ただ待っているのならそのまま黙って待てばいい。
- 次にやたらと押し付けがましい発言が続く。「OSってこうあるべきだよね?」みたいな話題だった。僕はどれにも基本的には賛同できなかった(OSASKの方針とも合ってない)。しかし「私はOSってこうあるべきだと思う」と発言していると脳内変換し、とりあえず静観した。
- 押し付けがましい発言は危険である。話し手はいい気分なのかもしれないが、聞き手の自由な発想を阻害する。いやそうは思わない、という発言を認めない雰囲気までできたこともあった。まあ僕はそうなっても堂々と否定するけれど。
- どうしてこれを単純に自分の考えの主張というかたちできないのかが僕にはわからない。自分の考えはこうだという発言なら、たとえ自分の考えと違っていても、それは「青年の主張」を聞いているかのようにすがすがしい。いいアイデアがあれば是非参考にしようとさえ思う。
- 押し付けがましいのは、つまりは排他的なんだと思う。自分に賛成しない意見を糾弾したいのだろう。・・・つまり相手を貶めないと自分が確立できない。そんなバカらしいことはやめて、相手はそのままで、ただ自分のよさを自慢すればいいのに。
- 後にこの発言群は結果的に「ブレインストーミング」をしていたのではないかという指摘があった。そうかもしれない。でもそうだとしても、やはり押し付けがましい発言は大いに問題であり、有害であると思う。
- それがエスカレートし、ついには「一般ユーザ」は○○を望んでいるだのいないだの、そんな話題になった。僕はさすがにこれはおかしい気がした。そもそもここで「一般ユーザ」なるものを引き合いに出す意味が分からない。自分のアイデアは、そんな一般ユーザまで動員しないと説得力が無いのか?それとも一般ユーザに使ってもらわないと困るのか?むしろそういう発想は自分のやりたいことを見失わせるだけじゃないのか?だから僕は「一般ユーザってなに?自分がやりたいならやればいいけど」と発言した。
- 自分を多数派に見せたいのだろうか。かりに多数派に見せたとして、それでどうしようというのだろう。自分の考えに沿わないのは少数派だとして糾弾したいのか?・・・うーん、やっぱり排他的だ。
- その後も問題ある発言や問題ない発言が続くが、決定的なものが出る。それは「OSASKは○○だから、・・・」という発言である。それは明らかに間違っていて、僕はそんなことは一度も言ったことは無いし、むしろその逆であることをホームページ上で明記している。僕はさすがに怒った。事実無根なことをさも事実であるかのように発言するのは、きわめて有害な行為である。僕がOSASKを正しく理解してもらうためにいったいどれほどの苦労をしてきただろう。このような行為は、それを打ち消すのみならず、その逆を印象付けようとするものである。
- しかも悪いことに、その発言者はこの発言を訂正しないし、わびることもなかった。僕が怒ったことに対して、別のものはなだめようともした。それもおかしいと思えてならない。
- 結局、「和をもって尊しとなす」のつもりなのだろうか。誰かが誰かを傷つけても(損害を与えても)、それに対して謝罪を要求するのは「和を乱す」と考える人がいるようになってしまったようである。つまり先に手を出したもの勝ちである。ひどいルールだ。
- 僕は常に発言者は発言に気を配り、誤発言が無いようにしなければならないと思っている。でも細心の注意を払い続けるのは困難だし、人間誰でも間違いはあると思う。だからそのために謝る必要がある。謝れば許すこともできる。しかし謝る機会を奪ったということは、僕がその人を許す機会も奪われたということである(後から個人的に謝ることはいくらでもできるが、僕はむしろそんなものはいらない。僕としてはこの発言者が聞き手全員の前で自分の発言が間違っていたことを明確に認めてほしいのだ。そうでなければ、OSASKが誤解されるかもしれないという被害は補償されない)。
(3) 嘆き
- そもそもOSASKコミュニティは何のために存在しているのだろう。コミュニティのメンバーはそれをどれほど意識しているだろう。そうとも、OSASKコミュニティは本来、OSASK計画の実現に利するために集まっているのである。批判的な意見を言う人もたまにはいるし、いていいけれど、それもOSASK計画の実現に利するための批判や要望であって、ただの仲良しグループごっこや、ただの無責任な発言の掃き溜めを供給するためではない。
- ただの仲良しグループごっこがしたいのなら、旧THE-BBLみたいな末路しかないのかもしれない。
- 僕としては「志を同じくして集まった人々」であってほしかった。
- 上記に当てはまらない発言はかなり初期からあったし、僕はそれを苦々しくは思っていなかったけれど、しかしそれも程度問題なのではないかと思う。もうOSASKなんかどうでもよく、僕の理想もどうでもよく、ただ自分の言いたいことを言っているだけになってはしないか?単に自分の親しい人がいるから来ている、なんてことになってはいないか?・・・それはOSASKプロジェクトを私的な目的で利用しているだけであって、有害な行為であることを自覚しているのか?
- 開発プロジェクトとそのメンバーの関係はいろいろと複雑で、プロジェクトのリーダーとしては、プロジェクトに貢献してくれるのなら、たとえプロジェクトの不利益ではあっても、メンバーの利益になることもしてあげたいと思う。しかし不利益の比重が大きくなる一方なら、やはりこの辺で警告を発し、場合によっては閉鎖も検討しなければいけないと思う。・・・しかし、僕は自分の考えを他人に一方的に押し付けるのはいやだから、仮にIRCを閉鎖すべしという結論になっても、それは単にOSASK-IRCに僕がいなくなるだけで、他の人たちが勝手に集まることを妨げることはしないつもりだ。
- 僕にはOSASK-IRCは、もはや匿名では無い代わりに非公開になった2chでしかないような気がする。
こめんと欄