世の中はあなたのためにあるわけではない
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- 念のために書いておくと、いうまでもないが、世の中は僕のためにあるわけでもない。
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- Aさんはお金がない。そして仕事を探したけれどどこもやとってくれない。もしくはやとってもらってもあまり一生懸命には働かない。それでやめさせられる。・・・そして食うに困った。しょうがないので、消費者金融でお金を借りた。そして取り立てられた。でも返せない。
- こんな状況になったとき、Aさんは開き直ってこんなことを言うかもしれない。「返すあてがないなら借りるなだって?じゃあなんだよ、私はお金がなかったあのときに飢え死にしろというのか?!」
- なんとまあひどい言い草だろう。本来は返せないのなら借りるべきじゃないのだ。だって貸すほうの立場に立って考えてみれば、貸している間そのお金を全く利用できないわけだ。その不自由さと引き換えに金利があって、それで納得して貸しているのに、金利どころか元本も返せないと来た。そりゃあ消費者金融だって貸し倒れのリスクは計算に入れていると思うけど、でもそれだって返すあても返す気もない人に貸すためじゃないはずだ(そんな人に貸すことも計算に入れたら、利子はいくらにしても追いつかない)。返したかったけど返せなかったときのためのものだと思う(予定外の大トラブルがあったとか)。
- Aさんは自分には何も問題がないと思うかもしれない。今まで困っている人も助けたかもしれない。でもだからといって、借りたお金を返さなくていいとか、お店で食べ物を万引きしていいとか、そういう話じゃない。「そんな世の中間違っている」と言うかもしれない。でもそんなのは間違っている理由にはならない。なぜなら、この世の中はAさんを生かすために存在するのではないのだから。
- もしこの世の中がAさんを生かすために存在するのなら、Aさんは生きるために何をしてもいいと思う。Aさんに死なれてはこの世の中の存在理由がなくなってしまう。だからみんなAさんが生きるためにしたことであれば同情するし納得するし大目にみてくれるだろう。・・・でも実際はそうじゃない。長い目で観察すれば、むしろ「適者」じゃないものを排除するためにこの世があるように見えるくらいだ(適者生存)。それを承知で反抗したければすればいい。でも借金踏み倒しや窃盗などの反抗的な行動を取るということは、現状の社会と友好的に付き合えないということを自ら証明してしまうことでもある。だから、それを理由に大きなペナルティを科せられても文句は言えないだろう。
- 「じゃあどうすればよかったのか」きっとAさんはそういうだろう。今の僕はそれに答えたいので答える。でもその前に念を押しておくが、基本的に僕も他の誰にもAさんのこの質問に答える義務も必要もない。だって僕たちがAさんに答えを教えても何も得るものはないのだ。それなのに、「そこまで言うからには正解を教えてくれて当然」だとか「教えてくれないのならもっと悪さをしてもいいはずだ」とかそういう自分勝手な考えを持つ。・・・まあそう思いたければ思ってもいいかもしれない。そんな考えだから自滅するわけだし。・・・で、そうじゃなくて、教えてもらえないのが当たり前で、どうしても教えてもらいたければ、頼むとか、何かで対価を払うとか、そういうことが必要なのだ。そういうことができないとか、そういう考え方ができないというのは、結局は終わりなんだと思う。僕はそこまでAさんを救いたいわけじゃないので、これ以上は考えない。
- それで「じゃあどうすればよかったのか」だけど、たとえば役所の生活保護の担当の人に事情を相談すればいいのだ。そこで断られたら、もう合法的に生きる手段はあまり残っていないかもしれない。そうだとすれば次善の策で、役所の前に座ってハンガーストライキをしたらどうだろう。役所の前で飢え死にしたとなれば、そりゃあ役所はたたかれるだろう。これで仕返しにはなる。自分が不合理な理由で生活保護を断られたと思うのなら、それを紙に書いておけばもっといい。役所は「しらなかった」とはいえないはずだ。・・・たぶん役所も見るに見かねて助けてくれるんじゃないかと思うけど、仮に見捨てられたままで死ぬことになっても、その死はムダにはならないだろう。
(2)
- 僕は思うに、生活が苦しいという人のうちある程度の割合の人は、そもそもやることにムダが多いというか、方向があまりよくないんじゃないかと思う。そして、自分でもっとよく考えなさいといわれても、よい選択を自分ではできないんだと思う。
- たとえば、お金の使い方がうまくない。100円でできることに200円も300円も出す。特売を活用し、また少しくらい遠くても安いお店まで徒歩で往復して、必要なものを必要なだけ買ってきて自炊すれば、相当安く暮らせる。調理器具だってそのほかの家電だって、知人などに聞けば安価で譲ってもらえる。なければオークションでもいい。大根の葉っぱみたいな部分を捨てるのも僕には分からない。食べればおいしいし栄養もあるのに。おからも安いのに栄養があってとてもいい食材だと僕は思っている。食べる人はそんなに多くないらしい。
- 服だってリサイクルショップの古着で十分だし、そうやってみすぼらしい服を着ていると、友人からいらなくなった服を譲られることもある。僕は好きで着ているのでそんな気を使ってほしくはないのだけど、まあ捨てるつもりだったと断言されたらもったいないのでもらわずにいられない。
- とまあ万事がこんな具合なのに、お金が無いと嘆いて人のせいにするようなAさんは、コンビニ弁当を毎日1食は食べ、家賃の高い物件に住み、家電は近所の高くてしょぼい電気屋さんで買ったものばかり、だったりする。
- だから、たとえば生活保護は、お金を出すだけじゃなくて、具体的にどこのどの家に住めとか、どこで服を買えとか、何着以上は持つなとか、何を食べろとか、そういうことを教えるべきなのかもしれないと思う。というか、それが分からなかったから生活保護を利用する羽目になったんじゃないのか?生活保護を受ける人がこれに従わなければいけない義務は無いけど、モデルケースを示すことで、それに従わないせいでお金が足りないという場合は、「そんなのは贅沢だ、しらんよ」と役所に見捨てられてもいいと思う。
- というかこのモデルケースって、生活保護者以外にも、年金生活者とかにも役立ちそうだなあ。というか僕も自分の生活でもっと切り詰められるところがあるかもしれないから、知りたい。そしてこのモデルケースを実践するのにかかる費用をベースに(最低必要な金額に1.5をかけるとかして)基礎年金とか生活保護とか税金の基礎控除額を決めてほしいなあ。
- そして究極的には boyaki_a/00019 につながる。
(9) まとめ
- ということでこのページで僕が言いたいことはこんな感じ。
- (1)生活苦に対して非常に自分勝手な言い分をする人がいるけど、その人たちは自分勝手なことを自覚しているんだろうか?
- (2)今の生活保護に必要なのは、金額の増額よりむしろ、「どうしたらいいのか」のモデルでは?
こめんと欄
- (2)について。結局そういうモデルって、何も役所に考えてもらわないといけないわけじゃないんだよな。現状でまず日本のどこが一番やすく暮らせるのかな。狭い部屋とか相部屋でいいから、試算してみたいなあ。 -- K 2007-11-20 (火) 17:45:04