henoheno氏が僕や.mjtさんに求めていたものの正当性
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- henoheno氏(以下h氏とする)は、今まで僕や.mjtさんに不当と思われる要求をしてきた(不当だという印象は客観的なものではなく、僕の主観的なもの)。それについて、もう一度考えてみたので、まとめておく。
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- 僕がh氏の不当な要求に関して覚えていることで一番古いのは、OSASKの過去のソースをすべて保存し公開し続けよ、というものだ。僕はすぐに拒否した。僕はその必要性を感じないのでやらない、というものだ。しかし、h氏の考え(後世のために保存しておくべきだ)を全否定するつもりはなく、h氏が自分で勝手にアーカイブにして残して公開するのはかまわないとも答えた(その場合はOSASKのページからリンクしてもいいとまで言った気がする)。
- h氏は僕のこの返答に対し、それでも僕に残せと迫った。しかも自分は残すために何もしないという考えも明らかにした。僕を説得しようというわけじゃない。ただの一方的な要求で、助言やアドバイスではない。残そうとしないのはオープンソースに対する反逆だと言わんばかりの剣幕である。
- 僕は意味が分からなかった(今も分からない)。残すべきだと思う人が残せばいいのだ。どうして残すべきだと思わない人が残す必要がある?説得できなければ自分でやるかあきらめるかしかないのに、なんなんだこの人は。と思った。・・・その後hideyosiさんが自発的にソースやバイナリをアーカイブしてくれるようになり、h氏の不当な要求は収まった。
- 僕は今でもこの要求は不当だと思っている。彼は公開されたものに対して、以下のような「義務」が発生するべきだと考えているように思える。
- 最初の配布位置から近い場所で永続的に配布され続けること。
- 改変があった場合は、改変前のものも全部残すこと。
- 同一のものがあちこちに散らばらないこと。
- これこそオープンソースの目指すところである。
- 僕はこのような義務が発生するべきではないと思っているし、それこそがオープンソースの目指すところだと思っている。公開した時点であれやこれやと義務が発生するのだとしたら、いったい誰が公開するだろう。もちろん、上記はそのほうが望ましいということは僕も認めていい。でもそれを義務にまで昇華するなら、ソフトウェアの公開は後の負債を作ることと同義になるため、僕なら公開を非常にためらうことになるだろう。それがh氏の望みなのか。理想の社会なのか。
- 僕は消したければ消えていいと思うし、同一のものがあちこちに出回ってもいいと思う。オープンソースの再配布の許可の義務は、まさに消えてしまうかもしれないことからの利用者側からの防衛策だと思うのだ。そういう防衛策が明文化されるということは、防衛策が必要だということなのであり、それはつまり僕の考えへの消極的な賛同であろう。h氏の提唱するような義務を広めようと思うのであれば、上記のようなことを守らなければ「オープンソース」であると名乗ってはいけないと明記すればいいのである。でもそうなっていない。これも僕の考えへの消極的な賛同であろうと僕は思う。
- つまりh氏の主張は根拠がないのだ。やっぱり不当なのだ。
- h氏は僕のような考え方を「情報を消費する」といっていた。「情報を蓄積する」のもじりなんだろうと思う。でも僕はもちろん気に留めてない。僕のやり方にどんなに侮蔑的な呼称をつけようとも、正しいものは正しいし、間違っているものは間違っているのだ。
(2)
- dev-j分裂問題についても、h氏のこの考え方が一方的に暴走していたような気がする。結局h氏は「dev-jのありかたはsourceforge.jpの理念にあっていない」と一方的に宣言し、.mjtさんから管理者権限を剥奪した。.mjtさんも僕も多分他の人も、dev-jがsourceforge.jpの理念に合っていないとは思っていなかった。だからこれはとても理不尽な行動である。ヒステリーだと言ってもいい。
- これは典型的な宗教論争と同じ様相だ。今にして思えば、h氏は一方的に.mjtさんの管理者権限を剥奪するべきではなかった(まあ当時も管理者権限剥奪は最低なやり方だと思ったけど)。最低でもsourceforge.jpに「チクって」sourceforge.jpからのご神託を受け、それを根拠にするべきだった。しかしそうしなかった。
- 過去の資料を読んでみたけど、一体どの点が「sourceforge.jpの理念にあっていない」のか、さっぱりだ。そんな状態でよくもまああんな暴挙ができたものだと思う。
- 大幅に譲歩して、仮にh氏の言うとおりdev-jの方針がsourceforge.jpの理念にそぐわなかったとしても、このやり方は最低であり、最悪だろうと思う。
- ちなみにh氏は.mjt氏を追い出した後にosdev-j.sourceforge.jpを運用し続けているようだが、どこがdev-jと違うのか、つまりsourceforge.jpの理念にあわせるために改善した場所はどこなのか、僕には今でもさっぱり分からない。
こめんと欄