「格差を放置すると暴動が起こる」という妄信
(0)
- 最近ブログなどを見ていると、優秀な人が所得の再分配に応じないで格差を放置していたら、いつか貧しい人たちが蜂起(ほうき)してお金持ちを襲うだろう、という意見をいくつか見た。なんだかよく分からないが、米騒動みたいなものだろうか。
- 僕はこれは妄想だと思っている。暴動は多分おきない。起きたとしてもすぐに対策され、沈静化するだろう。だから暴動が起きるかもしれないという懸念は、心配する・あてにするに値しない。
(1)
- 暴動はうまくいかないが、デモならうまくいくと思う。言いたいことを非暴力的な手段で主張するのは基本的に問題がない。これなら警察も妨害しない。しかし、食べ物がないからくれ、おまえたちはおれたちにしねというのか!みたいな主張をするだけでは、裕福な人たちはなんら相手にしないだろう。かわいそうだというのはもちろん分かるが、だからといって何もしないで腹が減ったから食べ物をくれ、であげているようでは、正義がどこにもない。そういうことを許せば誰も働かないことがもっとも賢い戦略だということになり、経済活動は完全に停滞する。だからお金持ちはそんな要求には応じない。
- これがもし、能力も時間も十分にあるのになぜか仕事をもらえない、みたいなことを訴えるのであれば助けてくれるだろう。自分には落ち度がないのに公害などで病気にさせられた上に、公害を起こした会社が倒産して補償してくれない、なんていうのも同情して助けてもらえるだろう。でも、仕事をしないで食べ物をくれ、はちょっとひどすぎる。それでは「そんなやつは餓えの苦しみを味わって、それで死ぬ気で働いたらいい」と言いたくなる。また能力がなくて、しかも能力をつけようともしないのであれば、やはり救いの手を差し伸べる気は起こらない。
- 暴動がうまくいかない理由は簡単だ。小規模に起こせば、警察や機動隊に鎮圧される。もちろん六本木ヒルズくらいはめちゃくちゃに破壊されるかもしれないが、その程度なら警察や機動隊だけで鎮圧できる。そして一度鎮圧できてしまえば、富める人たちは急いで国会に補正予算を組ませて、警察力を強化してもらうだろう。なにしろ理由は何であっても、暴力的な方法で解決しようとするのは「悪」だ。 →boyaki_a/00060 おそらくこれはあっさりと成立するだろう。そして暴動を起こした人はことごとく逮捕されるだろう。それでおしまいである。
- 仮にお金も能力もないという人たちが集まったとして、どれほどのことが出来るというのか。せいぜいオウム真理教の数倍くらいのことしかできないのではないか。インターネットで大々的に一斉蜂起すれば成功の可能性は高くなるけど、それは事前に計画が漏れることでもあるので、きっと攻撃されるかもしれない人たちは一ヶ所に集まって避難して、警察はそこを重点的に守るだろう。これじゃあ多分手が出ない。
(2)
- 暴動が起きるだろうという論理の根拠として、格差の底辺にいる人はもはや失うものは何もないから(食べ物すらなくてもうすぐ死ぬから)、捨て鉢で暴力的手段を取るだろうというのがあった。でも本当にそうだろうか。
- 過疎の村へ逃げて、原始的な農業をしたり(肥料や耕運機とかは買えないだろうから、自分が食べた食べ物の種をまいて水をやる程度)、もしくは川で魚を取ったりして生きていくことは十分に可能だと僕は思うのだ。そういう生き方を無価値だと決め付けて、能力もないのに勉強もしないで、それでいてお金持ちと同じような生活がしたいなんていうから「もう死ぬしかない」になるんじゃないか。生きる方法はあるのだ。それを選ばないだけで。これから日本は人口が減っていくから、平地ではない利用しにくい土地は安くなるだろう。聞くところによれば、今でも北海道の山奥は、一坪100円程度らしい。交通の便は極めて悪いけど、とにかく合法的に住むことは出来るのだ。
- どんな人でも、自分の能力に合った生き方は可能なはずだ。車に乗りたい、町にも行きたい、携帯電話も持ちたい、年収が100万円以上ないと嫌だ、なんていうからおかしくなるんだ(そういうことを安易に保証してしまった憲法の文言はたぶん問題だと思う)。そういうことを望みたければ望んでもいいけど、年収100万円以上の仕事をしなければ、つまり能力がなければ、それは無理だということも知るべきだと思う。
- ということで、失うものはあるのだ。それでも蜂起したいというならすればいい。そして懲役や死刑になればいい。
(3)
- 暴動は起きるかもしれない。でもそれを恐れて合理的な理由がないのに再分配に応じたりしていてはモラルが崩壊するだけだ。最初の暴動で被害にあうのはわずかな人数の人だろうし、それ以降は暴動は起きない。その最初の暴動を恐れるあまり言いなりになっていては、それこそ深刻な問題を招くだろう。
こめんと欄