個人の時代(協力しない人たち)
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- 「30日でできる!OS自作入門」は、OS開発が個人でできるということを明確に示した。もちろんそれ以前にも個人で作られたOSはいくらでもあったから、「30日でできる!OS自作入門」が最初だというわけじゃない。最初のケースではないとしても、しかしとにかく個人で30日あればこれくらいはできるという一つのストーリーは示したことは間違いない。
(1)
- 僕たちは今、科学技術の進歩に晒されている。そしてその進歩のなかには、「以前は集団で協力し合わないとできない」ことが「一人だけでもできるように」なるというのも結構含まれている。
- この「一人でできる」というのは、何もゼロからすべてを作るという意味ではない。「30日でできる!OS自作入門」の場合だって、たとえばgccやGNU-makeや(開発環境としての)Windowsを利用している。これらはもちろん僕が全部作ったものではないし、読者が作ったものでもない。
- 一人でできるというのは、何かこう「新規の」他人の協力をあてにして、コミュニケーションして合意を取って、時には妥協して、・・・みたいなことが必要ないという意味だ。既に存在する人類の遺産(ライセンス的に利用可能な遺産)は、好きなのを選んで使っていい。
(2)
- 僕らは「みんなで協力して何かやる」というのが本質的に好きなんだろうと思う。というのは、人類にはかつてひとりひとりではほとんど何もできなくて(というか、できるにはできるけど効率が悪すぎて)、だから協力し合うのが必然だったのだと思う。それで、協力し合うことを好まない人はほとんど一掃されたのではないかと思う。
- しかし協力し合うというのは常にいいこととは限らない。あなたが優秀で、ものすごく利益を生む事業か何かがあって、でもそれはどうしても1人ではできないとしよう。そうすると、しょうがないので誰かに手伝ってもらわないといけない。当然手伝ってくれる人はあなたほどには優秀じゃない。そして手伝ってもらうと、あなたの利益は半分になる。優秀なあなたのおかげでこれができたのだから、本当はもっといっぱいとってもいいはずだ。しかし手伝った人への口止め料として、分け前を減らすことができない。
- なんてことは十分にありうる。逆に考えれば、優秀ではないその助手は、優秀ではないにもかかわらず、利益を得てしまったのだ。これは進化論的には適切とは言えない。
- ということで、協力しないでいいのなら協力しないという方針を取るのが、本当は正しいのだろうと思う。これで本来利益を得るべき人だけが正しく利益を得る。そうすればその遺伝子やミームだけが繁栄し、進化は効率よく進むようになる。
(3)
- つまりこれから人類は、協力しない方向に進化するのではないかと僕は言いたい。協力しないで済むときに協力しないのは、もちろん進化だ。なぜなら進化を加速するのだから。進化が加速すれば、やがては他をしのぐことができる。そして圧倒して生き残る。
(4)
- こうして「ヒトは一人では生きてはいけない」みたいなことが言われることがなくなる時代が来ることを僕は信じる。国家や政府もなくなるだろう。それが100年後か、1000年後か、それはわからない。協力のために同時対話的に話をする必要がなくなれば、言語はもっぱら記録用に使われることになり、書き言葉主体で、複雑な発音などは失われるのかもしれない。友達もいない。友達がいなくても寂しいとも思わない。むしろそういうのがわずらわしいとさえ思うようになるのかもしれない。
- 今のところ生物学的に子孫を産むには男女が必要だけど(男女の協力が必要だけど)、これも進化すれば不要になるはずだ。というか、男女がいなくても子孫を残せるようになることは進化なのだ、というべきか。今でも体細胞クローン技術によって自分のクローンを作るだけならできるかもしれないが、これはダメである。クローンでは進歩がない。クローンでは進歩が遅いから(かけ合わせのための)性別ができたのだ。
- ということで技術をもっと進歩させて、遺伝子を自由に書き換えて、それを利用して我が子をデザインするようにならないといけない。こうなれば、男女は必要ない。装置を使って、自分の遺伝子をベースに組み替えて、人工保育機で育てて、そして生まれたら教育すればいい。
- こうしてみると、「男女の愛」なるものは、不変的なテーマじゃなくなりそうだ。しかし教育は必要だから(ミームの伝承のために)、親子の愛みたいなものは不変的なテーマであり続けるかも知れない。
- 考えてみると、現代における男女の協力のためのコストのなんと高いことか。愛だの恋だのと騒ぎ、競争相手と戦い、他に取られはしないかと心配し(不倫とか)、性的衝動を原因とした性犯罪まである。これらが全部なくなって、その時間を他のことに使っていいのだとしたら、いったい人類はどれほどマシになるだろうか。
- というか人生の大半をこういうコストだけで消費している人間も結構いそうな気がする。世界で売られている「音楽」のうち、これらのテーマを扱ったものは8割くらいなんじゃないだろうか。つまり人類は暇さえあればこんなことばかり考えて時間を無駄にしてきたのだ。それもこれも、自分ひとりでは子孫を残せないせいなのだ。
- いやらしいビデオがたくさん存在し、いまもそれが作り続けられている(=一定の需要がある)ことも、こんなことで時間を浪費している証拠の一つだろう。これらのものに一切興味がなく、他の興味に集中する人々を考えてみてほしい。我々人類がそういう人たちに勝てると思うだろうか?勝負にすらならない気がする。
(5)
- 協力しなくていいのなら、たぶん会社みたいなものもやがてはなくなる。誰も誰かを雇ったりはしない。機械や装置やロボットなどを使って、自分ひとりで十分出荷に耐える品質の製品を作れる。
- 今までは主体性に乏しくて、人のいうことを聞く、みたいな人も必要だったけど、これからはそういう人の需要は徐々に減少していくことだろう。
- こうしてみると、たとえば引きこもりという現象は、人との関わりを本質的に疎ましく思うことだから、進化の最前線なのかもしれない。彼らだけの遺伝子ではやっていけないかもしれないけど、しかし彼ら的な要素を受け継いだものだけが、将来の人類の標準なのかもしれない。
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- 残念ながら、僕はまだ進化し切れていない(というか今の技術では全てを一人でまかなうことはできてないから、早くも進化しきってしまった人は生きにくい不便な思いをしているだろう)。だから僕は、友達がいなくなったらきっと寂しいと思うだろうし、恋だの愛だのという歌を聴いても、いい曲だなあと思ったりしてしまうことがある。だから僕もやがては淘汰されるタイプの人類なのだろう。
こめんと欄