意見の生産性
前書き
- 僕がたまに使う、「生産的意見」、「非生産的意見」について。僕がどう考えているかをまとめました。
区別の判断基準
- ある意見に対する意見が生産的かどうかは、だいたい以下のように判断します。
- 主観的意見に対する意見の場合:
- この意見の表明によって、相手の考えが進み、相手が喜ぶかどうか。
- この意見の表明によって、相手の主張からあいまいさが消えるかどうか(ただしあえてあいまいなままにしておきたい部分というのもあると思われるので、そこを無理に明確にしようとするのは相手の意図に反するので非生産的に分類される)。
- あなたが分からないという理由だけで、あれこれ質問するのは、非生産的な結果に終わることが多い。あなたに分かってもらうために書いたのではない可能性が高いのだから。
- 客観的意見に対する意見の場合:
- この意見の表明によって、相手の考えが進み、相手が喜ぶかどうか。
- 相手は嫌がるかもしれないが、論拠の欠陥の指摘は非常に生産的である。ただしその指摘が主観的意見であるならば、それは非生産的な意見になることが多い。
- 客観的な意見の真偽に影響するようなあいまいさの排除を促す意見は生産的である。しかしそれ以外の質問は、非生産的な結果に終わることが多い。あなたに分かってもらうために書いたのではない可能性が高いのだから。
- 何かを解説するための文章の場合:
- 分からないところ、分かりにくいところへの質問は、既出でない限り生産的である。これは読み手に理解してもらうために書かれた文章なのだから、この手の質問が非生産的だということはまずない。
- 何の意見に対する意見でもなく、単に自説の表明であれば、その意見そのものが話題の出発点になるので、生産的とか非生産的とかの区別の基準はまた違ったことになるでしょう(社会に対する影響とか?)。・・・それは難しいのでここでは論じません。
- 補足:
- 脱線はたいてい非生産的。相手が本来言おうとしていることからそれる、はみだす、ようなことをいうのは避けるべきであろう。たとえ相手が面白がって受け入れてくれても、脱線は話を混乱させるだけなので、非生産的といえる(他の人の迷惑になる)。
- 相手の望まない意見が生産的意見になるケースは少ないので、相手に受け入れられなさそうな意見を言う場合は慎重に判断すること。
ちょっとほりさげ
- 主観的な意見に対する意見の生産性は、相手次第な面があるので、とりあえず言ってみるとか、もしくはどういう意図で意見表明をしたのか確認してみるしかない場合がある。でも結構想像で判断できることも多い。
- 非生産的なことばかり書くのは、「荒らし」に分類されても仕方ないと思う。
- 非生産的な意見は、いわゆる「うざい意見」だと思う。
- 内容的には十分に生産的であっても、態度が悪すぎると結果的に非生産的な意見になってしまうこともありそうだ。
迷惑行為かどうか
- A氏が自説を延々と書き並べていて、それが見るに耐えないとする。この場合A氏の行為が迷惑行為に相当するかどうかは、目立った実害があるかどうかで判断できると思う。たとえばその文章が独立したサイトにあり、そのサイトに行かなければ読まずに済むという状態であれば、それは迷惑行為ではないと思う。その程度で回避できるのなら実害ではないと思う。
- 公の場や複数の人の意見が入り乱れるような場所での独りよがりな意見の表明は、迷惑行為だろう。その人の意見だけを読まずに済ませることが簡単にはできないからである。
生産的かどうかとは少しずれるけど
- A氏があるサイトで主観的に意見による自説を展開している時に、B氏がそれに異議を唱えたいとしよう。B氏がこれをA氏のサイトのコメント欄で行うのは、基本的にはおかしい。A氏の目的にそぐわないからである。
- A氏がそのサイトを書いたのは、おそらく自説を検証してもらいたいからではないはずだ。もし検証が目的なら検証に足るだけの論拠をそろえて客観的意見として自説を展開するだろう。だからこれに対する批判を延々とA氏のサイトでやるのはただの迷惑行為でしかない(逆にいえばA氏が反論をコメント欄に募集していると明記しているのならそこでB氏が自説を展開するのは構わない)。
- したがってB氏はA氏と逆の見解を別のサイトに書くべきである。もしそのサイトの存在をA氏およびA氏のサイトの読者に伝えたければ、そのリンクをA氏のサイトのコメント欄で紹介するくらいは許されると思う。
- ちなみにB氏はたとえ自分のサイトであっても「A氏の意見は間違っている」と書くべきではない。いやB氏の主張が客観的意見であるならば間違っていると断言してよいが、もしこれも主観的意見にとどまっているのなら、B氏としては「僕はA氏の意見には賛成できない」「A氏とは反対の意見をもっている」などというのが精いっぱいであって、もしこれを超えて主張するなら間違っていた場合には謝罪の必要があるだろう。
こめんと欄
- 何か自分で書いておいてなんだけど、boyaki_aの11から13の内容は本来は明文化する必要のないほど当たり前のことだと思う。こんなことを文章で残しておこうと思わせるような世間が嘆かわしい。 -- K 2006-09-09 (土) 12:50:39