ミニぼやき
(1)
- なぜ女性は美男子が好きなのかと考えてみた。・・・これは、男性が美女を好んだせいではないか?
- まず美女が生存上有利になる。つぎに、美女のうち、自分の娘も美女であれば次世代も有利になって、その遺伝子は長く生き残るわけだ。そして自分の娘を美しくするには、夫も美しいほうが有利なのだろう。ということで、美男子を選びたがる女性が増えたのだ。
- 念のためにいっておくが、女性は意識して美男子を好きになろうとしているのではない。たぶん無意識でそうなる。そう思うことが有利だから、そういう女性が多くいるのだ。男性だって、美女でもそうでなくても同じくらい好ましく思うけど、あえて美女を選ぶ、なんていうわけではなくて、理由とか以前に美女が好きなんでしょ?多分それと同じ。
- ちなみに僕は美女であることよりも、純粋に健康そうであるほうがはるかに好き。
- 世間で言うところの美人の基準なんて、くじゃくの羽みたいなもので、本質的には役に立っていないと思う。
- 一般の人はたくさんの異性に好かれることを好むようだが、実はそれは無意味だ。
- 結局自分が結婚したい相手に好かれさえすればそれ以外はどうでもいいわけだから。もちろん、結婚相手以外のすべての異性に嫌われる、なんていうのは実生活上困るだろう。だから嫌われるのはよろしくないが、しかし好かれる必要はない。まあ好かれても害はない。
- と僕は以前から思っているので、もてたいとか思わない。というか関心がない。
- 現在日本をはじめ多くの国では、一夫一婦制を法律によって維持しているが、これってよく考えると習慣上・宗教上の根拠しかない気がする。
- 多夫や多婦ではいけないという生物学的根拠はない。というか生物学的に批判する根拠のある同性愛までOKできるのなら、一夫一婦制なんか即刻やめるべきでは?
- というのも、一夫一婦制をやめれば、たくさん結婚したい人はたくさん結婚してたくさん子孫を残すだろう。そうすると、次の世代は、たくさん結婚したい人の割合が急速に増える。これなら少子高齢化なんて回避できるのでは?一夫一婦制のもとでも、もちろん少しずつは結婚したがる人の割合が増えるが、しかし現状ではそれは少子化の勢いに負ける速度でしかない(だからこそ、人口が減る)。
(2)
- 多くの人はたくさんの能力をやたらと求めるが、それは本当に必要だろうか。
- 結局のところ、自分のやらなければいけないことと、自分のしたいことができれば、それ以上に何かが「できる」必要なんてない。そんなものを習得する時間のほうが惜しい。
- これは勉強にも言える。親や学校の先生は、どんなことでも知っていて損になることはない、みたいな暴論で、なんの後ろめたさもなく役に立たないことを偉そうに教えるが(そしてもはや僕もその同類かもしれないのだが)、結局は児童・生徒・学生の時間をうばって疲れさせているだけなのかもしれないことを、忘れるべきではないと思う。
(3)
- 世の中には無駄なものがあふれている。人々は無駄なものを求めている。そんな人たちに合わせて、自分までムダを追い求める必要は全くない。
- 人類は生産能力を上げて、豊かになったか。ああ、なった。しかしそれで生み出した余力を無駄なことのために浪費するなら、結局何の意味もない。・・・本当に必要なものを得るために、本当の意味で将来の役に立つために、余力を使ってこそ、ほんとうの豊かさだ。
- きっと現代を数世紀後の人類が見たら、「この時代は無意味なことが流行して、それに感化されやすいよく考えない人と、常識や流行に惑わされない人に、徐々に分かれた時代だったね。そしてこのあと、よく考えない人たちは社会に余裕がなくなった次代で、そのツケをはらうことになって、ほとんど絶滅したんだよね」とか言っているんじゃないかと、僕は思っている。
(4)
- 短大で4月だったか5月だったかに、真顔(というかやや不思議そうに、驚きをもって)で学生にこういわれた。「もしかして先生って怒らないの?」
- なるほど僕は怒らないほうに分類されるのだろう。
- 僕からすれば、学生はお客様だ。そんな人に向かって一体何を怒る?授業中に私語があったら腹が立つのか?僕は立たない。もちろん、誰かの私語のせいで「せんせー、よくきこえないよー」という人がひとりでもいるのなら、僕だって注意しよう。でも今までそんなことをいった人は一人もいない。だから実害がないわけだ。実害がなければ、僕はとがめる気はない。
- 一度だけ大声でやられたことがあって、そのときは「お話してもいいから、でももうちょっと小さい声でね。おもしろいのはわかるけど」っていったことはある。
- 多くの学生は(話し振りやまなざしからして)僕を尊敬している。しかしそれは教師だから尊敬しているのではない。そんな尊敬はこちらからお断りだ。僕が尊敬されるのは、明らかに僕が圧倒的に優秀だからだ(まああくまでも学生から見て、だけど)。学生が何分も何十分も悩んだバグを数十秒で指摘する。「えーと・・・ああわかった。ここがおかしいよね?」と。学生にとってはそれが神業に見えるらしい。そういうことが何度かあってから、明らかに敬意を払うようになったような気がする。もしかしたら、本の著者だって分かったころからかもしれない。
- 学生さんたちの敬意の払いかたは、敬語を使うとかじゃない。できればこの課題もやってほしいな・・・なんてつぶやくだけでも、やってくれるようになることだ。僕が話しかければ、他の会話よりも優先して聞いてくれる、何も強制しなくても。僕の名前もすぐに覚えてくれた。うそをつかない。たてまえもいわない。たまにプレゼントをくれることもある。授業の内容がいいと思ったらいいといってくれる。遅刻もしない。つまらなそうにもしない(その代わりに授業そっちのけで、就職活動の書類を作っていることはある(笑)。僕はそういうのも一向に構わない。授業時間内のすべてを授業内容にささげる必要はないのだ。ようは課題をクリアすることができればいいわけなのだから)。
こめんと欄