シェア重視病
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- Atom対C7(Nano)の話を見て思ったこと、本のよしあしの評価基準のについて見聞きしたこと、OSASKのシェアに関する話題から。
- 関連:「昨日までは評価してなかったくせに」→boyaki_a/00031
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- Atomは○○だから売れる、××だから売れない、とかいっている人たちがいる。なんだろうこれは。この人たちは秋葉原の仕入れ担当なのか?たぶんそうではないだろう。では、売れるとか売れないとかが一体なんだというのだ。素直に○○だからいいとか、××だからよくないとはいえないのか?
- それとも一般ウケする要素について語りたいのだろうか。しかし一般ウケするかどうかが一体なんだというのだ。みんなが買って普及したら何かいいことがあるのか?量産効率が上がってIntelの利益率が改善するだけなんじゃないか。
- またシェアが高いことが何かメリットだと思って宣伝文句に入っている場合もある。しかしみんなが買っていることそのものは本当は何の価値もない(例外として携帯電話の無料通話のように、シェアそのものも意味を持つ場合はある)。みんないいと思って買っているのだろうという推測は可能だが、それが自分にあっているかどうかはまた別の話だ。だから一番重視するべきはどういう特徴なのか、どういう値段なのかであって、みんなが買っているかどうか使っているかどうかではない。
- その意味では「30日でできる!OS自作入門」もおなじだ。ありがたいことに確かにたくさんの人に読んでもらえているけど、それはいい本かどうかとは別だ。読んだ人の数ではなく満足した人の数で比較するべきだといいたいわけじゃない(まあでもそのほうがマシな比較だとは思うけど)。自分の目的に合っているかどうかだ。
- そしてOSASKに対する評価も同じだ。なんかみんなが使わないからダメみたいに思っている人がいるみたいだが、みんなが使ったところでなんだというんだ。OSASKは僕自身だけが使うだけでも作るのにかかった労力は十分に報われているので、別に他人が使っても使わなくても関係ない。せめてwebブラウザがまだないからダメとか、そういうレベルでバカにすればいいものを。シェアなんて物のよしあしとは無関係といっても過言ではないのに、それでOSASKをけなしているつもりになっているだなんて失笑してしまう。
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- 似たような話で、「高いものはいいもの」「安いものは悪いもの」と信じている人もいる。同じものでも高くしたら売れたとか、がんばって値下げしたらかえって怪しまれたとか、そんなこともあるらしい。なんだかなー。
- 石油や為替や株式みたいに、オークションみたいな相場で値段が決まるものは、たしかにそのときの値段がそのときの価値を表しているとはいえると思うけど(なんなら同じ値段で売却できるわけだし)、それ以外の方法で値段が決まっている場合は、値段なんて物のよしあしとは無関係だ。安くていいものはあるし、高くて悪いものもある。高いだけで価値があると思ってありがたがるなんてなあ。
- たとえば世の女性たちはダイヤモンドなる宝石を好むらしいけど、僕はキュービックジルコニアで十分だと思う。美しさよりも硬さが重要だというのならダイヤモンドのほうがいいかもしれないけど、どうせ美しいからほしいだろう。それなら安くて綺麗なほうがいいじゃないか。どうせダイヤモンドではないことなんて鑑定士くらいにしか分からないわけだし。・・・財産を盗まれないために身に着けていようと思うのなら、ダイアモンドは悪くないかもしれないけど、だったら社交場に出て行くときだけではなく常に身に着けるべきじゃないのか。それに人に見せないほうがより安全だ(おなかに巻きつけておくとか)。自分は金持ちだと見せびらかしたいのか。悪趣味だけど、それならやっぱりジルコニアでいいじゃないか。そのほうがたくさん買えるから見せびらかしがいがある。どうせ他の人にはわからない。むしろ本物のダイヤモンドでも、ジルコニアと間違われて、「あの人はあれっぽちしか買えないのか」と思われるかもしれないぞ。
- そもそも炭素なんてありふれた元素なので、ダイヤモンドは財産としての価値がいつまで続くのかはなぞだ。人工ダイヤの改良が進めば、ガラス玉よりマシな程度になる可能性は常にある。ジルコニアの原料であるジルコニウムのほうがよっぽどレアである。
- 結局みんながダイヤをありがたがるから自分もほしいだけなんでしょ?じゃあその輝きは、「私は物のよしあしを自分では決められない人間なんです」ってことを示しているだけじゃないか・・・。恥ずかしいねえ。
(3) 追記
- 他にも似たようなものはたくさんあった。たとえば「手間や時間をかけた料理はおいしい」。でも実際は、時間がかかったわりにおいしくない料理はたくさんあるし(要するに料理が下手ということ)、ひどいのになると生のまま食べたほうがおいしいなんてことすらある。むしろ短い時間で作る簡単料理みたいなレシピで作ったもののほうがおいしいことだってある。・・・100種類のスパイスをブレンドしたカレーとか言っても、結局は10種類くらいのスパイスをブレンドしたカレーのほうがおいしいことだってある。
- プログラムだってそうだ。ソースコードの行数が多くても、また実行ファイルのサイズが大きくても、便利なものは便利だし、役に立たないものは役に立たない。ゲームの面白さもしかり。
- スポーツやゲームもそうだ。覚えるのに手間取るような複雑なルールを持つゲームのほうが面白いとは限らない。1勝負にかかる時間が長いゲームほど面白いというわけでもない。
- 勉強時間が長いほど頭がいいとは限らない。名の通った学校を出ているから頭がいいとも限らない。
- 苦労したほうがいい結果になるとは限らない。こんなのは慰めのための言葉か、もしくは他人をこき使うための言葉だと思う。実際は苦労せずにいい結果を得られることだってある(そういえば、いらぬ苦労という言葉もあるな)。
こめんと欄