個人の利益追求ではない方法

  • ここに大きなケーキがあって、これを何人かで分けたいとします。分ける方法はたくさんありますが、一つの方法を紹介しましょう。
  • ほしい人に名乗り出てもらって、それぞれにどのくらいほしいかを言ってもらい、それに応じて分配します。これにより、たくさんほしい人はたくさんもらえますし、少ししかいらない人は少しだけもらえます。もしみんな同じくらいほしければ、みんなに均等に分配されます。これはいい方法だと思います。
  • この方法の面白いところは、各自は相手のことをまったく考えずに自分がどのくらいほしいのかをいっているだけなのに、結果的にうまく平等が達成されることです。これこそ今の競争社会でよく実践されている方法だと思います。
    • でも現実はちょっとゆがんでいるかもしれません。たとえばここにケーキが1000gあったとして、10人がそれぞれ200gたべたいと思っているとします。これは結局みんな同じくらいほしいので100gづつに分配されるべきなのですが、この中に一人ずるをしたいと思うやつがいて、事前に調査して素直に200gと申告すると100gしかもらえないと悟り、あえて400gを申告します。そうすると、彼は181gを得て、残りの9人は91gになります。
    • 結局このようなずるをしそうなやつがいると、みんながそれに対抗するために、本当にほしい量ではなくて際限なく大きい量を申告するようになり、この仕組みはなんかおかしくなり、あまり平等ではなくなります。
  • 少々脱線しましたが、僕がここで指摘したいのは、各自が全体を意識することなく、ただひたすらに自分の利益を、強調するなら自分の利益「だけ」を追求しているだけでも、自動的にバランスは取れて社会はうまくいくのだ、という考え方が存在するということです。いや存在するだけではなく、現実の社会でも実践されていて、それなりに成功しているんだと思います。これはこれでまことに結構なことであります。
  • もとのケーキを分ける話に戻ると、もちろん違うわけ方もあります。名乗り出るのではなくて、まずほしい人にもほしくない人にも均等に分配してしまいます。そのうえで、少なくていい人はもっとたくさんほしい人に、余剰分をあげるのです。つまり、自分で要求して必要な分をもぎ取ってくる、という行為をなくして、全員が最初から平等の実現を第一に考えるわけです。
  • 今の競争社会に考え方がなじんでいると、これはすごく変に聞こえるかもしれません。共産主義的だとか言う人もいそうです(いや実際そうなのかもしれませんが)。ちなみに僕は仮に資本主義的ではないと言われても、それはけなし言葉だとは思いません。言葉の意味よりもニュアンスだけでわめく人は、これがけなし言葉だと思っているようですが。
  • 自分のことだけを考えているのに結果的に社会的平等が達成させるという仕組みを思いついた人を、僕はすごいと思いますが、しかし素直ではない気がします。もし社会的平等を達成したいだけなら、みんなが平等を願えばいいのです。・・・人間には平等を願う気持ちを共有することはできない、と失望して、その結果で今の方法になったのでしょうか。・・・なんにせよ、あえて自己中心的な考え方を肯定して、彼らを助長させるのは良い方法だったのでしょうか。いまや彼らの一部には、単純かつ純粋に平等を願う人たちを「反社会的だ」とか「この仕組みで平等が達成されるのであるからして、それの逆を願うとは平等の敵だ」とか言うほどになっています(まあ言いたければ言わせておけばいいだけなので、実害はないのですが)。
  • 僕がこんなややこしいことを書いたのは、僕が共産主義や社会主義を愛しているとか、資本主義を嫌っているとか、そういうわけではなくて、もっと個人的で単純な理由です。
  • 僕はできることなら、いろんな人へ感謝の気持ちを抱いて暮らしたいのです。・・・またさっきのケーキの話に戻りますが、もし僕が200gのケーキがほしくて、そう要求して、ちゃんとそれだけのケーキをもらえたとします。このとき、僕は誰に感謝したらいいでしょうか、・・・誰にも感謝できません。僕が200gをもらえたのは僕が要求したからであって、僕のおかげなのです。
  • 一方、みんなにいったん100gずつ分配して、あとからあまりケーキが好きではない2人から、「そういえばKはケーキが好きだといっていたな、じゃあ50gを食べませんかと聞いてみよう」なんてことで、結局合計200gを得たとします。僕は誰に感謝したらいいでしょうか、・・・もちろん分けてくれた2人です。僕もきっともらうばかりではなくて、あげることもあるでしょう。それでいいんです。友達が増えそうです。
  • この方法だと、みんながほしがっているときは、自分がどんなにほしがっても、余計にはもらえません。努力してもダメです(というか努力のしようがない)。でも、これって、だだっ子が、「やだやだ〜、もっとほしい〜」っていっているのと同じだと思うんです。親に「みんなほしいと思っているんだから、しょうがないでしょ」といわれたら、それで納得できそうなものだと思います。
  • 僕は、この2つのどちらか一方だけがいいと思っているのではありません。マイナーなほうをちょっと弁護気味に書いていますが、僕は両方の考え方があっていいと思っています。これはA派とB派に分かれるとか、A党とB党に分かれるとかそういう意味ではなくて、一人の人が両方の考えに理解を示して、問題に応じてどちらの考え方でやったらいいかを考えるという意味です。競争的な仕組みのほうがうまくいく場合もありますし、反競争的なほうがうまくいく場合もあるでしょう。
  • まとめると、どちらか一方の方法だけがベストであって、しかもそれは全ての問題に適用するべきだという、排他的思考の持ち主を、僕は強く批判しているのです。

こめんと欄


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Last-modified: 2006-02-16 (木) 17:59:34 (5977d)