幸せな人とそうでない人

  • (by K, 2006.09.03)

本の読者のブログを見ていたら・・・

  • 自著の読者のブログを見ていると、賛否両論だけど賛辞のほうが多い、みたいな感じでした。まあこれはある意味当然で、本の内容がいいという根拠にはなりません。そもそもいい内容だと期待した人しか読まないので、その分、母集団が中立ではないからです。
  • その批判的な人のブログと肯定的なブログを交互に見ていると、何となく傾向らしきものが見えてきました。もちろんこれは全体的な傾向であって、すべてが当てはまるわけではありません。
  • 批判的な人は自分の考え方に固執しています。さしたる根拠もなく(後述)、「プログラムはこうでなければならない」みたいな狭い持論を持ち(というか世間のくだらない風潮に流されているだけにも見えるけど)、それに僕のプログラムが合っていないからという理由で「この本はダメだ」といいます。ひどいです。
  • もう少し前向きで力のある人は、自分の流儀に合うように修正を試みます。しかし力が及ばず、バグを含む結果になり、うまくできません。それでやる気をなくし、責任転嫁して「この本はダメだ」といいます。やっぱりひどいです。
  • さらに力のあって、無事にうまく自分流に書き換えられた人でも、変なことを言う人はいます。自分が書き直したOSがなんとなく遅かったりした場合、それはこの本がいけないとか、初心者向けOS自作の限界だよな、とかいうのです。そりゃないよ〜、本の内容そのままなら速いんだって。自分で改悪しておいて、それに気づかずに僕のせいにするっていうのはアリなの?それはひどいよー。
  • 当たり前ですが、さらに力があって、性能を落とさずに自分流に直せる人や、もしくは性能を落としてもそれが自分のせいだと自覚している人は、本の批判をしません。だから問題はありません。・・・またプログラミングに関しての初心者で、素直に僕のプログラムを受け入れる人も当然のことながらこんなへんな批判はしません。

  • 読者がプログラムを批判するよりどころは、インデントが深いからダメだとか、関数名や変数名のつけ方が不適切だとか、関数の分け方が気に入らないとか、オブジェクト指向になっていないからいやだとか、まあそんなところです。それぞれの批判は正しいのです。
  • しかしこれはすべてプログラムのソース、つまり設計図の話です。設計図において、寸法の書き入れ方が気に入らないとか、部品番号の番号のつけ方が気に入らないとか、そういうレベルの話です。
  • でもどんなに完ぺきな設計図が書けたとしても、それでできるOSが超おんぼろだったり、バグ持ちだったり、設計図の流儀に悩むあまり図面が完成する前に放り出したりしてしまうというのは、果たして「改善」といえるのでしょうか?その程度の人が他人の流儀に口出しする資格があるんでしょうか?自分が自分に課した制限のせいで挫折するのなら、自分はまだ未熟であったと負けを認めるほうがよっぽどよいように僕は思います。・・・少なくとも僕は、自分の流儀のせいで苦労することがあったとしても、それを他人のせいにすることはありません。

  • 一方、全面的に肯定的な人もいます。こんな書き方でもここまで作れるんだと感心する人もいますし、そもそも他の書き方なんて見たことも聞いたこともないので、こんなものだろうと思う人もいます。こういう人たちは批判的な人たちよりも柔軟なのでしょう。
  • さて同じ本を読んでみて、それを楽しめる人と楽しめない人がいるわけですが、どちらが幸せでしょうか。どうせなら楽しめた人のほうが幸せではないかと僕は思うのです。荒探しだか墓穴堀りだかは分からないけど、とにかくあれこれ文句をいいながらしか読めない人は、かわいそうだなあと思うのです。かわいそうな事態になった原因の一部は間違いなく僕にあるわけでそれは申し訳ないのですが、しかし多くの人は抵抗なく受け入れている内容でもあるのですから、僕だけに原因を押し付けることはできないと思います。

  • 批判的・肯定的の分かれ道は、プログラミングスタイルだけではありません。文章の調子についても同様です。こんな書き方だから読みにくいという人と、こんな書き方だから挫折しないですんだという人の数は、ほぼ同じくらいです。そしてこれらはどちらも少数で、大多数はどんな書き方でも別に構わない、という人のようです。
  • これについても、柔軟な人たちは幸せで、そうでない人は自ら受け入れられる文章を狭めているわけですから、僕は申し訳ないことをしたなあと思う反面、その人自身がかわいそうだなあとも思います。

他のブログを見ると・・・

  • 読者のブログには他の日々の内容も書いてあることが多く、それをみると柔軟な人は他の事柄に関しても柔軟に対応していて、批判的な人(というか自分のやり方に合っていないとすぐに拒絶する人)は他の事柄に関しても噛み付いてばかりいるように見えました。もちろん例外もいくつかありましたので、すべてがそうであるというわけではありませんが。
  • その中には、えええ!こんなに非の打ち所のないものまで批判するの?!とか、それはお門違いじゃ・・・とか、思うものもありました(確かにそれはひどいなあと納得するものもありましたが)。
  • そういう何でも噛み付き屋さんが僕の本にいろいろ文句を書いていたとしても、それはあまりに気にしないことにしました。・・・いやその、僕は本を読んでくれたのに満足してもらえなかったようだと、ものすごく申し訳ない気持ちになっていたのです。今さら気に病んだところでどうしようもないのですが、それでも気になるのです。それで一喜一憂していたのですが、なんでも批判屋さんとか理不尽な批判に対しては、それほど気に病まなくてもいいかもしれないと、そう思ったわけです。
  • それで、これって性格なのかなあと思うようになりました。もしそうだとしたら、幸せになりやすい性格と、そうでない性格ということになるでしょうか。僕はどうせなら幸せになりやすい性格でありたいなと、そう思いました。

こめんと欄

  • 「楽しめた人のほうが幸せではないか」から、「幸せになりやすい性格」は飛躍しすぎている感があります。「幸せになりやすい性格でありたい」とは… --ある人にとって、一つの本をどれぐらい楽しむか、というのは、自由だと思います。それに、噛み付くのも楽しみ方の一つかもしれませんよ?他人は他人なのではないでしょうか。こう考えた方がよっぽど「柔軟」かもしれません。 --もちろんあなたが、幸せになりやすい性格でありたい。と考えるのは自由です。例えば、「ひどいです。」と思うより、そういう人もいるのだ、と受け入れる性格であれば、「ひどい」と思うことを防げるわけですが、果たしてどうでしょうか(私はそういう性格になりたいとは思いません)。 --ところで、教育に関心のある人だ、とお聞きしています。性格に優劣をつける等といった行為が教育上どういった意味を持つのか理解できていますか?道徳教育関連の勉強もされた方がいいかと思います。 -- 名無しさん 2006-09-03 (日) 20:10:40
  • コメントありがとうございます。ただ、ひどく曲解しているようで残念です。・・・論理に飛躍を感じたそうですが、僕は読み返してみてもそうは思いませんでした。・・・僕も本をどう楽しむかは自由だという意見には全く賛成です。僕としては自分ならどう楽しみたいかを書いただけです。・・・こう考えるほうが柔軟ではないかという提案はそのとおりかもしれません。しかしここでいう「ひどい」は僕の主観的な判断の表明というよりは、理不尽な主張なのではないかという指摘なので、その指摘は的を外しているように僕には思えます。・・・最後に、僕が性格に優劣をつけていると誤解したようですが、僕は自分がどうなりたいか(=自分の好み)を書いたまでで、この考え方が正しいとか正しくないとかそういう主張はしていません。まんいちそれすらも教育上好ましくないということであれば、それは僕が教育者として最適ではないというだけであって、教育者になるために自らの人格まで変えようとは思っておりません。したがって、道徳教育関連の勉強うんぬんは的外れであると思います。 -- K 2006-09-06 (水) 02:32:31
  • 曲解とのこと、実際そういう部分もあるかもしれません。--一般論を言っているのかと思い、飛躍だと感じていました。自分がどうなりたいかだけを述べているのだとすれば、それほどではないと思います。ご自分のなかではつながっているのでしょう。--「この本はダメだ」といいます。ひどいです。と、最後の方にある、理不尽な批判に対しては、それほど気に病まなくてもいいかもしれない…という表現からは、理不尽な主張を気に病んでいた、「嫌だと思う」気持ちがあり、言葉を借りると、主観的な判断があるかのように感じられました。--直接性格に優劣をつけているようには、たしかに見えません。考えが正しいかどうか、も関係ないと思います。ただ私は、「幸せの方がいいのではないか」という考えが、その考えをもとから私が持っていたのか、暗に文章から読み取ったのか、存在する気が致しました。そんなことはない、というのなら、それでいいのです。あと、自分の好み、は、自分自身に対する好み、という意味なのでしょう、他人に向いているのかと誤解されかねませんよ。--個人的には、(杞憂である確率がたかいでしょうが)この考えが(特に初等)教育に持ち込まれることをおそれました。つっかかることの多い人もいるでしょう、このようなことはおそらくおっしゃらないでしょうが、その前で「僕はそうなりたくない」とは言って欲しくないのです。人格を変える必要はなくとも、ある程度考えて発言する必要があるのでは、ということです。勉強うんぬんは多少踏み込んでの発言でしたが、的外れでもないと思いますよ。長文失礼しました。 -- 名無しさん 2006-09-08 (金) 19:55:58
  • お返事はありがたいのですが、内容が「私はこのように感じました(=私はこのように曲解しました)」という話から始まって、その曲解内容に対して批判なさっているようなので、こちらからはお返事できません。ご了承ください(ご自分で話題を誘導して、自説を展開なさっているだけ?)。 -- K 2006-09-08 (金) 20:24:21
  • 私視点では十分に読み取れたことですので、質問という形にかえさせてください。・一般論を言っているように読み取れましたがいかがですか。・主観的な判断は十分あるように読み取れますが、いかがですか。・「幸せの方がいいのではないか」という意図は全くないのでしょうか。・「自分の好み」は、他者にもそうであってほしいと思っていませんか。・「僕はそういう性格にはなりたくない」、と当の性格を持った人に言うでしょうか。 誘導する気はありません。 -- 名無しさん 2006-09-08 (金) 22:57:49
  • 今そんな質問が出るということは、主観的意見表明と客観的意見表明をうまく区別できていない(読み取れていない)のではないでしょうか?その辺のことをboyaki_a/00011に書きます。 -- K 2006-09-09 (土) 00:19:35
  • 一応回答:「僕としては自分ならどう楽しみたいかを書いただけです。」という記述で明らかですが一般論として書いていません。読者の批評のやり方がひどいということと、それを当初は意識できずに僕が自分を責めていた時期があったことを区別できていますか?僕はこの意見が主観的であるとした以上、他人に自分の価値基準を押し付ける意図はありません。僕がもし当の性格の人に言うつもりであれば、こんなところで抽象的には書かず、それぞれのブログに具体的に書くでしょう。・・・ということでいずれも質問の必要も回答の必要もない内容だと思います。 -- K 2006-09-09 (土) 01:33:12
  • 区別はできているつもりですが、今でもご自分を責めているようですが。あなたの持つ考えが、多少ながら理解できました。どうやら迷惑のようなので謝罪いたします。それでは。 -- 名無しさん 2006-09-09 (土) 19:48:10

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Last-modified: 2007-03-23 (金) 03:56:14 (5578d)