昨日までは評価しなかったくせに

  • (by K, 2007.06.07)

(1)

  • 本当はとても偉大なことをしているのに、周囲の考えが保守的だったり、もしくは過去に何か失敗したせいで過小評価し続ける、なんてことはよくある。そのくせ、その人が急に社会的に権威のあるところから評価されると、急に態度を一変させて褒め称える。・・・こういうのって結構あるような気がする。
  • 日本で評価されなかったのに、海外で評価され、日本に帰ってきたら周囲の人たちの態度が一変していて驚いた、みたいな話はよくありそうな気がする。これをもって、「これだから日本人は・・・」みたいな意見もたまに耳にするけど、これって本当に日本でよくあることなんだろうか。それとも、実は他の国でも日本と同じくらいこういうことがあるんだろうか。
  • しかしなんにせよ、僕はこうやって態度を一変させる人がおかしくてしょうがない。結局「自分の目はふしあなでーす」って言っているようなものじゃないか。自分じゃ何も判断できません、付和雷同しているだけです、私はそのくらいバカなんです、みたいな。
  • むしろ、権威あるところに対して、あいつを評価するなんて世間もたいしたことはないな、くらいのことを言えばいいのに。もしくは自分の評価に間違いがあったとわかったのなら、今まで評価してこなかったことを詫びるべきじゃないか。

(2) 正しく評価できないことは悪

  • よいものをよいといい、わるいものをわるいというのは大事なことだと思う。本当にいいかどうかはわからなくてもいい、とにかく自分がいいと思うか悪いと思うか、それを伝えるのはいいことだと思う。・・・もちろん、知識が無いのでどっちなのかわからないことっていうのもたくさんある。その場合は、何も言わなければいい。みんながいいって言っているのでいいと思いますとか、みんなが悪いと思っているので悪いと思います、は最悪である。それは評価の割合をゆがめることにしかならない。
  • よいといわれれば普通はその方向を延ばそうとするだろうし、悪いといわれれば改善しようと思うだろう。だから正しい評価は人を育てると思う。悪いものをほめていては、もっと悪いものが増えていくだけである。よいものを作っていた人が、そちらになびくかもしれない。・・・もし日本によい技術が無いのはなぜだろうと嘆きたいのであれば、もしかしたらそれは世間の評価能力が低いからなのかもしれない(僕はそんな風に嘆きたいとは思ってないけど)。付和雷同的行為によって評価をゆがませて、自分たちがよいものをつぶしていることに世間は気がついているのであろうか。
  • たとえばよくわからないけどパソコンが買いたい、でも何を買ったらいいかわからない、みたいな時は、権威に頼ってもいいと思う。雑誌を読んだりよく知ってそうな人に聞いてみるとか。でもその段階ではえらそうにしてはいけない。実際に買ってみてその感想をいえるようになってからにするべきだ。そしてその時点で、権威がなんと言っていてももはや関係ない。自分の意見こそ重要であって、みんなが使っているからいいに違いないとか、○○氏がいっていたからなんて、まったくどうでもいい。そんなこといっているとまた粗悪品が幅を利かせ、いいものが市場から消えていく。
  • ・・・ということで、僕は付和雷同的な人に負の評価を与える。悪いものを悪いといわなければ、減らないと思うので。

こめんと欄


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Last-modified: 2007-06-07 (木) 03:46:46 (5499d)