プログラミングも適材適所では?
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- .mjtさんの日記の中で『コンピュータに優しい人間』というフレーズが出てくる。なかなか気の利いた表現だ。さすがは.mjtさんだと思う。
- ここから僕が今までどう考えてプログラミングしてきたのか書きたくなったので書いてみる。
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- まずコンピュータは万能であるという仮定を僕は持たない。むろん万能ではないと言い切るわけではない。でも出来ないことがあるかもしれないと思うわけだ。いやいや、仮に万能だとしても、簡単に出来る得意なことと苦労しないと出来ない不得意なことがあるのではないかと仮定することは、決してコンピュータに対して不当ではないと思う。
- なんだか知らないけど、僕から見ると人々の多くは、「○○ができたら便利だろうな、よしそういうプログラムを書こう」という話になっている気がする。なぜなんでもかんでもコンピュータにやらせようとするのか。もちろんコンピュータでもいいけど、でもその前に、この問題を解決するには誰が一番適任だろうかと考えるべきなんじゃないか?その上でPCが一番適任なら確かにそれはプログラミングするべきだと思う。でもそうじゃないなら、それは他の方法で解決するほうがいいんじゃないだろうか。
- こういっちゃなんだけど、結局僕はPCにとって簡単に出来ることだけを選んでプログラミングしているから、無能だけどプログラムが書けているわけだ。というか、PCにとって簡単かどうかだけじゃなく、そもそも自分にとって簡単かどうかも気にしている。僕はどんなソフトウェアだって作れるってわけじゃない。やっぱり向き不向きがある。僕は自分の不得意な分野のプログラミングはしてない。得意なのか不得意なのかわからないままプログラミングに突入することはあるけど、不得意と分かっていて突入することはない。
- プログラミングとは結局は僕とPCアーキテクチャとで共同作業をすることに他ならない。そしてお互いのどちからが不得意な分野を最初から避けていれば、そりゃそこそこうまくいくのは当たり前というものだ。
- 管理職とかの人のための教養書に、適材適所みたいな話があるけど、まさにそれをやっているだけなんだと思う。ケンカならジャイアンに任せるべきだ。それなのにジャイアンにうまく歌を歌わせようとするから苦労する。・・・人間がやったほうが早いことは人がやればいいんだ。それすらも自動化しようとすればそれはなかなかに大変だ。たとえば自動で発明をするソフトウェアを作ろうと思ったとする。多分そんなソフトを書く手間の半分以下で、10個以上の発明をすることが出来るだろう。そうじゃなくて、既存特許の整理とか検索をやるプログラムや、自分の思い付きを整理整頓するプログラムなどを書いて、発明作業を支援したらいいんだ。それなら人間よりもコンピュータのほうが得意な作業だから、多分小さな労力で達成できるだろう。
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- もちろんコンピュータに不得意なことをあえてできるようにしようということは夢もロマンもある。でも達成できても処理能力的に人間を追い越すまでは評価されない。そもそもそんな苦労するテーマしか残っていないわけじゃない。それなのになぜそんなところに突撃するのか。簡単に出来ることがすっかりなくなってからやればいいのに。そこに簡単な問題はたくさん落ちているのに、なぜわざわざ難しい問題を拾うんだろう。
- みんな自分の得意なことだけをしているほうが、ストレスも不満も消費エネルギーもみんな最小にできそうな気がするんだけどな。
こめんと欄
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