論理性よりも自分の主張の一貫性を重視してしまう愚かな行為

  • (by K, 2008.11.01)

(1)

  • この間、人々が会話しているのをなんとなく見た。それで、神奈川県の学校だったかな、その高校の入学試験で、試験の点数は合格圏内だったのに、身なりや服装を理由に勝手に不合格にしていた学校があって、その学校の校長が責任を取ってやめたとかいう話をしていた。
  • でその話をした人は、この校長がやめたというのはつまりは自分が知らないで担当教員がやったということではなく、自分も知っていたか、少なくともそのやり方に賛成しているから、自分で責任を取ることにしたんだろう、といっていた。身なりや服装が乱れているようなやつを不合格にして何が悪い、こんないい校長が辞めなければいけないなんて、日本の教育はもうダメだ、みたいなことを言っていた。
  • それに対して、何人かが賛同した。そうだそうだ、と。でも一人が異議を唱えた。その問題は身なりや服装で判断したことに問題があったわけじゃなかったと思う、この事件よりはるかに前から、学校の面接などで身なりや服装を評価基準に入れている学校は少なくない。今回の問題は、筆記試験のみで合否を判定しているということにしてあったのに、勝手にそれ以外の判定基準を持ち込んだのが問題だったのでは?と主張。・・・なるほど、これは僕にも正論に聞こえる。
  • そうしたらこの話を最初に言い出した人が「うるせえ、そんなこと知るかよ」と言い出した。・・・僕はこの展開がひどいと思った。・・・でその話はそれで終わりになった。

(2)

  • 結局、この人は論理的に話をしているように見せかけて、ただ自分の論理に酔っていただけだったのだろうか。なるほどその点では校長は引責辞任せざるを得ないね、となぜいえないのか。もしくは、この点でもこの校長には落ち度がなかったのではないかという話をどうしてできないのか。
  • 結局事実を誤認して、本当は正しくない人を正しいと思い込んで絶賛して、それを他人にまで吹聴しておきながら、その間違いをすぐに指摘してもらえたことに感謝することもなく(もしそのとき教えてもらえなかったら、他の聞き手は間違った認識を持ったままになる、自分のせいで)、「うるせえ、そんなこと知るか」と非難する。むしろ「何言ってんだよ、そんなことも知らないで偉そうに言うな」って言い返せばいいのにと思ったけど(笑)、その人は何も言わなかった。

(3)

  • でもこういう愚かな傾向は、何もこの人だけにあるわけではなく、一般に散見されるものだと思う。でもどうして、人々は、こんな愚かな行為を繰り返すのだろう。あなたの論に欠陥があるのではないか、という指摘に対して、どうして素直に受け取れないのだろう。反論があるのなら、もちろん反論すればいい。でもその反論が、もはや「反論するために無理やりしているような話」だったり、「うるせえ、そんなこと知るか」みたいに、自分の責任外だと逃げるような発言だったりする。
  • 論理的な話っていうのは、論理を積み上げて正しい結論に到達するためのものではないのか。だとすれば反対意見だろうとなんだろうと歓迎されるべきだ。それを自分が頭がいいようにみせるための表現手段だと思っていないか。それで賛成意見ばかりもとめて、批判的意見にたいして異常に不寛容になっていないだろうか。なんて幼稚だろう。
  • とまあ、そんなことを思った。・・・書いていて思ったけど、なんかこのテーマで前にも書いたような気がしないでもない。もし以前にも書いていたら、それは僕の物忘れのせいです、同じ話を二度も書いてすみません。

こめんと欄


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Last-modified: 2008-11-01 (土) 22:53:38 (4988d)