主観的意見と客観的意見

  • (by K, 2006.09.09)

前書き

  • かつて2chのOSASKスレッドが盛り上がっていたときに、僕は主観的意見と客観的意見の違いを説明しました。それは某氏がこれをまぜこぜにして議論を台無しにするのが嫌だったからです。
  • それからだいぶ時間が経った今、また主観的意見と客観的意見の区別がうまくなさそうな例を見つけたので、ここに僕なりの解釈をまとめておくことにします。

おおざっぱな区分

  • 客観的意見:
    • 客観的な論拠に基づく意見。まだ論拠を提示していなくても、後からすみやかに論拠を出すつもりなら、それも客観的意見である。
    • 客観的意見は他人に強要することができる。客観的意見として「きみは間違っている!だから方針を見直すべきだ」みたいな主張は理屈に合っている。
  • 主観的意見:
    • 客観的な論拠に基づかない意見。それは未証明の命題かもしれないし(つまり将来的には客観的意見になりうる)、たんに自分の好き嫌いを表明しただけかもしれない。
    • 主観的意見を他人に強要するのは筋違いである。主観的意見として「きみは間違っている!だから方針を見直すべきだ」みたいな主張はするべきではない。「きみは間違っていると僕は思う。もし僕がきみの立場だったら方針を見直すよ。でもきみにはきみの考えがあるだろうけど」というのが精いっぱいである。根拠すら示せない(=正しいかどうかは発言者の思い込みでしかない)ようなものを、他人に強要しようなんて正気とは思えない。
    • 逆にいうと、相手に強要するような言い方をされた時点で、僕はその意見を客観的意見として主張しているのだと判断する。

ちょっとほりさげ

  • 「この主張は正しい!」とか言い出したら、それも相手に強要するニュアンスが強いので、客観的意見であろう。逆に真偽の判断ができない(orしない)と明記しているのなら主観的意見であろう。
  • もちろん、客観的意見として主張可能な内容を、あえて主観的意見にとどめて発言することはできる。しかし逆に主観的意見でしかないものを客観的な意見として主張するのは、議論以前である。
  • 理論的な話をせずに、共感に訴えようというやり方は、主張が主観的であることを大いに感じさせる。
  • 「○○だ」と断言するような記述はたぶん客観的意見(もちろん前後の文章の調子にもよる)。「○○だと思う」という記述はたぶん主観的意見(これももちろん前後の文章の調子によって違ってくるけど)。

こめんと欄


コメントお名前NameLink

リロード   新規 編集 差分 添付   トップ 一覧 検索 最終更新 バックアップ   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2006-09-09 (土) 02:18:42 (5813d)