* 人生の目標(?)とか
 -(by [[K]], 2008.04.08)
 *** (1)
 -僕は小学生くらいまで、大人はみんなえらいと勝手に思っていた。たとえば隣りの○○さんは新幹線の車輪を作ったり、近所の○○さんはロケットの部品を作ったり、うーんなんというか、人に誇れる仕事をした人だろうと思っていたのだ。・・・そして自分も大人になったら何かしたいと思っていた。何をしようかと考えていた。
 -そして日本にはたくさんの人がいるから(このときの僕は発想が貧困で、世界までは想像もつかなかった)、みんなが1つだけ立派なことをすればそれで十分に世の中は成り立つと思ってた。で、みんなその1つに全力を傾けて生涯をかけてやって、それが済んだらそのときの報酬でゆっくり暮らせると思っていた。・・・生涯のうちに2つも3つもやる必要はない。だからこそ1つに時間をかけてやれるし、だからこそ立派な成果になるんだろうと。
 *** (2)
 -しかし自分の身の回りを見てみると、どうもそうではない。親類をたどれば確かにすごい人もいるみたいだけど、両親や親族や近所の人や友達のお父さんお母さんは、どうもぱっとしないとい。しかも、むしろそういう人のほうが大多数なのではないかと思えてきた。僕はこれにひどく失望を感じたのを覚えている。それまで僕は大人はみんな当然のように尊敬していたのに、なんかそうでもないんだなあ、と。
 -しかも高校生くらいになって特に思ったのは、何か大きな業績を残した人であっても、それは1つだけやっていれば許してもらえるわけではないということだ。ヒット曲を出した歌手は次の新曲を期待される。ベストセラーを出した小説家は続編を期待される。しかも期待している人の中にはあまりぱっとしない人まで含まれる。なんでなんだ、それは不公平じゃないか。がんばった人に鞭打つのか。期待されている人がそれでいいというのならいいけど、でも基本的にこれはおかしくないか。
 -結局、日本は、というか世界は、一部の優秀な人たちが不当に何人分も働かされた結果として維持されているのだ。がんばった人はさらにがんばらされる。がんばらない人はがんばらない。もちろんがんばった人はたくさんのお金をもらえるのかもしれない。でもそんなお金も「お前ばっかりお金持ちなのはずるい」とか、「もうお金はたくさんあるんだからこれ以上はいらないでしょ?」と報酬が下げられ、結局ほとんど報われない。なんてひどい仕組みだろう。僕はそんな社会に絶望していた。お金なんて結局は金属片、紙切れだ。そんなものを渡しておけば優秀な人をこき使えるのだ。本当にあんまりな仕組みだ。
 -結局、日本は、というか世界は、一部の優秀な人たちが不当に何人分も働かされた結果として維持されているのだ。がんばった人はさらにがんばらされる。がんばらない人はがんばらない。もちろんがんばった人はたくさんのお金をもらえるのかもしれない。でもそんなお金も「お前ばっかりお金持ちなのはずるい」とか、「もうお金はたくさんあるんだからこれ以上はいらないでしょ?」と報酬が下げられ、結局ほとんど報われない。もしくは高額所得者は税率が上がってむしりとられる。なんてひどい仕組みだろう。社会の一員としてのノルマ(?)を果たし、さらにその何倍かの仕事をして、それに比例した収入を得ただけなのに。・・・僕はこんな社会に絶望していた。それにお金なんて結局は金属片、紙切れだ。そんなものを渡しておけば優秀な人をこき使えるのだ。本当にあんまりな仕組みだ。
 -「お前は優秀だからこれもやれ、オレは能力がないからやりたくてもできないんだよ、いいよなお前はできるんだからさ」こんな会話が普通に成立しそうなこの世の中。できないことは申し訳ないことではないのか?できなくても生きていける(社会的な立場がある)のは感謝すべきことではないのか?今はできなくてもいつかできるようにがんばろうとか、このままじゃいけないと恥じ入らなくていいのか?・・・僕はこれをずっと思ってきた。
 -でも僕みたいな考え方は少数派だった。多くの人は「他人に迷惑さえかけなければ何をしてもいいじゃん」「別に普通でいいよ」「がんばっても疲れるだけだし」みたいに考える(そう見えた)。
 *** (3)
 -がんばるのを放棄した人と最前線でがんばる人の差は、今や大変なものになっていると思う。文化や文明が進歩しているので、最前線の人は年々レベルが上がっていると思う。一方で、がんばらない人は周囲を見て脱落しない程度まで手抜きをすればいいと思っているので、というかむしろ最小の労力、最小の能力で不自由なく暮らすことが「要領がいい」などという美徳にまでなりつつあるので、手抜き競争みたいな状態になり、ゆっくりとレベルが下がっている気がする。
 -そしてがんばらない人がある日ふとがんばる人たちの生活をうらやましく思い、ちょっと自分も追いついてやろうと思ったが追いつけないことに気がつく。そして格差だと騒ぐ。騒げばそれまでより少ない労力で追いつくための道を誰かが用意してくれるだろう。また楽しているわけだ。
 *** (4)
 -で、何で今さらこんなことを書いたのかというと、こういう考えの人って僕のほかにもいたらうれしいなあ、とふと思っただけ。・・・結局考え方は人それぞれだし、僕はそれでいいとおもっているから、自分の考えを力説するつもりはない。
 
 *** (5) 脱線:仮に格差を嘆くとしたら非難すべき相手は誰か
 -AさんはBさんと同じ努力をしたのに、Bさんのようにはなれなかった。これは格差だ、ずるい!(やや極論)。もって生まれた才能の違いだろうか。それとも幼少期の教育の差だろうか。それとも学校や塾に通うお金がなかったからだろうか。
 -いずれの問題にせよ、もし自分の努力不足ではないと断言できるのなら、それは両親のせいである。政府のせいではないし、ましてや勝ち組の人たちのせいでもない(もちろん規制やしきたりなどで同等以上の能力があるのに機会がもらえないというのなら、行政や既得権益者を責めるべきだ)。
 -才能がないのがもし遺伝的な問題なのであれば、そのような遺伝子を持ち合わせていなかった両親を責めるしかない。自分はそんな親になるまいと思うのなら、とにかく良い遺伝子を持っている人と結婚するべきだ。子の代では十分に遺伝的な改善が見えないかもしれないが、孫の代、ひ孫、その先ととにかくよい遺伝子を掛け合わせていけばいずれはよくなるはずである。
 -Bさんのお父さんはお金持ちで、だから財産があって学校卒業と同時に事業を興せていいな、みたいな事であれば、これも両親を責めるしかない。これを反省してこんな親になるまいと思うのなら、あなたは自分の子が生まれるころまでにとにかく貯金を増やしておくしかない。
 -幼少期の教育のせいだと思うのなら、それも親のせいだ。Aさんにできることは自分の子には十分な教育を受けさせることだ。小さいときからピアノをやっていた、でもうちにはピアノがない。Aさんのうちにはある、だから追いつけないんだ、とかいうこともあるかもしれないが、それならAさんは自分の子にピアノを与えればいいだろう。
 -なんにせよ、両親、もしくはおじいさんおばあさん、もしくはそれよりずっと前の先祖のたちが、十分な配慮をしてこなかったツケがAさんに反映されただけなのだ。それを忘れてはいけない。そしてAさんもあきらめて同じようなことを繰り返すのであれば、Aさんの子供も似たような結果になるので、Aさんは両親や先祖を責める資格はない。・・・両親も先祖もそして自分も責めないで、そのほかの他人を責めることはたやすいことだけど、そしてそれで何か改善されるかもしれないけど、そんなことをしてもそれは「ずる」をして格差を一時的に解消しただけであって、本質的な改良は何もないので、またいつか同じ問題がぶり返すかもしれない。そしてそれはまさに自業自得である。
 *** (6) 脱線:苦労するべきなのか
 -(3)でがんばらないのはいけない、手抜き競争はよくない、みたいにとられるかもしれないので補足。僕はがんばらない、手抜きは本質的にいいことだと思う。同じ結果が得られるのにわざわざ苦労するなんてただのバカだ。ただなんというか、短期的に利益を上げるかどうかで最適化の目標を設定したがためにこんなことになっているんだと思う。ただの無駄な努力に見えることも人生全体で考えればプラスかもしれない。もしくは次の世代まで考えればプラスかもしれない。
 -たとえば美人でお金持ちなだけの女性と結婚するのは、その世代までならいいかもしれないけど、何世代も先まで考えたときは、たとえお金がなくても健康で病気になりにくくて知的な女性と結婚するほうがいいかもしれない。美人であることが有利な場面って高が知れているし(俳優になるとかなら役立つかもしれないけど)、お金なんて有能なら1代で築けるからそんなに急いで飛びつく必要はない。それよりも健康とか知性とかそういう遺伝要素(知性のどのくらいが遺伝で決まるのかは知らないけど)を集めるほうがずっと大事だ、長期的には。
 
 *** (7)
 -動物は植物に寄生した生物でしかない。なぜなら植物なしでは動物は生きられない。有機物を自分で合成できないから。
 -もし僕がどんなひどい雑草でも十分に栄養にできるような内臓の持ち主であれば、僕は多分植物にあまり感謝しない。感謝しなくても適当に生えてくる雑草を食べていればいい。でも実際は違う。米や小麦や野菜や果物をたべるけど、それらは一般的には雑草よりも弱くて、だから守ってやらないとたくさんの収穫が得られない。だから感謝するし守ってやるべきだと思う。つまり寄生していることを自覚している。
 -がんばる有能な人たちとそうではない僕たちとの関係も実は同じようなものだと思う。僕たちは彼らに寄生しているのだ(彼らの成果に寄生しているというほうが分かりやすいかもしれない、でもそれは結局彼らに寄生しているのと同じ)。それなのにどれほどの人ががんばる人たちに感謝しているだろう。守ろうと思っているだろう。自分が寄生していることをどれだけ意識しているだろう。僕たちはかんばる人がいなくなったらきっとものすごく不便な思いをして困るけど、がんばる人たちから見れば僕たちは取替えのきく存在で、べつにかけがえのない存在ではない。それをどれほど意識しているだろう。
 -お殿様は農民に寄生していた。だからお殿様がもし気に入らないからという理由で農民を全部殺してしまったら、もしくは徹底的に嫌われてみんな逃げられてしまったら、一体何を食べて生きていくだろう。農業のノウハウがあればなんとかなるけど(=自分は農民でもあった)、なければおしまいだ。だからお殿様は農民を大事にしたと思う。そしてそういうお殿様の国は栄えた。
 -一般には寄生は、たくさんの人がわずかな人数を支える形を取っている。お殿様は一人だし、まあ家族や家来もいるだろうけど、農民の総数からすればごくわずかだ。・・・しかし現代の寄生は逆だ。これは優秀な少数の人たちの生産力があまりにも高いからだと思う。
 
 * こめんと欄
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