* (教育に関して)「これで日本はやっていけるのか」から
 -(2008.08.13)
 -(by [[K]], 2008.08.13)
 *** (0)
 -だいぶ前にテレビで日本の教育はやばい、このままじゃ世界に対して遅れをとる、みたいなテーマで議論していた。僕はこの議論内容を観てないんだけど、このテーマそのものがすごく気になった。
 *** (1)
 -僕がなんだかおかしいと思うのは、大人たちがこの問題を非常に憂慮しているということである。これは教育を受ける側ではなく、教育をする側だ。教育ってこれでいいんだろうか。本来、教育を受ける学生が危機意識を持って、「このままじゃいけない、もっとこんなことを教えてくれよ!」と叫ぶべきなのではないか。
 -僕の考える理想の教育は、学生が教えてほしいと望むことだけを教えることである。おもしろくも興味ももてないようなことを耐え忍ぶのは理想には程遠い。何を学ぶべきか考える暇もないまま、これを覚えろ、これを理解しろ、この問題を解けるようになれ、っていうのは教育などではない。ただの一方的な洗脳である。
 -教えてほしいというのなら、ゲームの攻略法を教えたっていいのだ。そんなことのために学習時間を使うのはもちろん愚かだろうが、本人がそうしたいというのならそれでいいじゃないか。知りたくもないことを無理やり教えてなんになるというのだ。それで少しでも頭に入ると思うのか。それで頭に入るのだとしたら、相手の意思に逆らって知識や知能を叩き込めているのだから、やはり洗脳でしかない。
 -大人たちはなぜ教育についてあれこれ悩むのだろう。そんなことを悩んで大人たちに一体何の得があるだろう。大人がどんなに心配しても学校の教育課程をどれだけ見直しても、結局学生本人が勉強したいと思わなければ何も変わらないと僕は思う。○○よりも××を教えるべきだ、なんていう話は、学生に向かって「お前は○○ではなく××に興味を持つべきだ」ということに等しいと思う。なんに興味や関心を持つなんて、それは明らかに各自の自由じゃないか。それを上から押し付けようなんて、なんとおごった考え方だろう。自分の直接の子供にだってそんなことをしていいのかどうか悩ましいほどなのに、日本中の学生に対してそんなことを望むとは・・・。神様気分なのだろうか。
 *** (2)
 -大幅に譲歩して、彼らの考えている通りの教育改善をし、しかも効果があったとしよう。つまりこれからの日本の若者は優秀になるわけだ。しかしそれがどうしたというのだろう。日本の若者が優秀になるというのは、決して僕やこの番組内で議論している大人たちが優秀になるということでない。むしろ僕たちは相対的に無能ということになり、仕事がなくなり、生きていくのがつらくなるだろう。それなのにどうして教育の改善を望むのだろう。
 -つまり、教育改革によって日本はやっていけたとしても、それで自分がやっていけることにはならない、ということだ。
 -それともあれか、若者が優秀になれば、自分たちも養ってもらえると思っているのか。なんといやらしいやつらだ。・・・もし単に日本の教育は遅れている、それじゃあ若者がかわいそうだというのなら、なぜ「日本の教育」がテーマなのか。日本以外にも遅れている国は一つもないのか。そんなことはないだろう。自国だけよければそれいいのか。自国だけを問題にせず、単に世界の優れた教育法をいろいろ紹介するだけではどうしていけないのか。・・・やっぱり、若者に優秀になってもらって、それで自分たちの老後を養ってもらおうという考えがあるように見える。
 -単に同じ民族ゆえにえこひいきしたいというのなら(これはかなり狭い了見だが)、とりあえず自分が自分の子供や近所の人に自分の考える理想の教育をすればいいじゃないか。なぜわざわざ見ず知らずの人まで巻き込んで日本全体でやろうとするのか。そんなことをしようとすればやたらとお金と時間がかかり、その上効果はなかなかでない。
 *** (3)
 -教育カリキュラムとか、考えてみるとわけがわからないな。何を教えるべきか教えなければいけないかを、国が決めているわけだ。どんなことでも学生が望んだことを教えてあげればいいのに。そんなこといっても最初は何をしたらいいのか分からないかもしれない。人と話をしたいのなら、もっとうまく話をしたいのなら国語を勉強して、語彙を増やしたり、文法を勉強したり、敬語を覚えたりすればいいじゃないか。本を読みたいなら字の読み方を覚えればいい、文章を書きたいなら書き方を勉強すればいい。それだけのことだ。将棋をやりたければ将棋のルールを覚えたり、定跡を覚えたり、歴史上の名勝負を研究すればいいのだ。
 -人生はそんなには長くないのに、いらないことばかり勉強させられた気がする。仮に同じ結果に終わるとしても、それが自分の意思で選び取った結果であれば、僕はまだあきらめもつく。他人に無理やり押し付けられてその結果がこれじゃあ、むなしさもひとしおだ。
 -テストとか言うのも実に不気味な仕組みである。大人は一方的に洗脳し、どこまで洗脳がうまくいったのかを確認しているのだ。もしこれが自主的な学習に基づいていれば、学校内でのテストなんていらないだろう(演習はありうるけど)。国語の勉強でも数学の勉強でも将棋の勉強でも、学生本人が満足できればそれで終わりだし、満足できなければ何度でもやり直す、それだけだ。
 *** (4)
 -なお、学生は現在の教育の被害者であるが、ただの被害者とは言い切れない面もある。たとえば、何か人生上難しい問題にあたった場合、「こんなの学校で習ってないからどうしていいか分からないよ」などとぼやく。何だよそれはと僕は思う。学校で習わないと何も出来ないのか(まあこういうことを言う人はたいてい習ったことも満足に出来はしないのだけど)。自分から学ぼうという態度が全くなく、しかもそれが当然だと思っている。無知なのは自分のせいではなく、教えてくれなかった人がいけないと考えている。
 -なんともまあおかしな考えだ。自分の人生はどこまでも自分だけのものであって、うまく生きられるかどうかは全面的に自分次第だ。学校なんてそれを手伝ってくれる機関でしかないのに、完全に勘違いして、自分は学校の言いなりにやればそれで満足な生活が保障されると思っている。そしてその通りではないと自分の不明を嘆くのではなく、親や学校を責める。・・・こんな人間になってしまうと、もうつける薬はない気がする。
 * こめんと欄
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