boyaki_a/00099
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* 実際の本物よりも洗練された作り物のほうが十倍はいいと思う -(by [[K]], 2008.08.17) *** (0) -OSC名古屋の翌日、僕は観光で「徳川美術館」にいったわけだけど、そこには「歴史」に関してのとても秀逸な説明があった。まずはそれを紹介したいと思う。 -まず、歴史家が何から歴史を解明しているのかというと、主に現存している記録、日記、手紙などからである。しかしそれらはたいてい書き手の感情や解釈が混ざっていて、どこまでが歴史的事実でどこからが創作かを判断するのはとても難しい。 -そもそもこれらの文章は書き写されなければ残る確率は低い(そうでなければ紙がぼろぼろになって失われる、火事などで失われる、なくす)。で、当時はもちろん印刷なんて出来なかったから、すべて書き写しである。そうなれば、わざわざ書き写したいと思うものしか残らない。ただ事実を淡々と記録したものなんて面白くもなんともない。むしろ歴史的事実に訓話めいた解釈がついたものや、その訓話をさらに効果的にするために誇張したもの、悲劇をより悲劇的に描写し、何かといろいろと大げさにしたもの、そういうもののほうが断然に読み物としては面白い。ということで、歴史的事実は常にゆがめられて伝えられる圧力にさらされ、歴史家は非常に苦労してこれらのノイズを取り除いている。 -結局は日記が一番有力な資料らしい。日記は物語風になってはいないので、なんかこう話をまとめる必要がなく、そのぶん創作される可能性が低い。そもそも他人の日記をわざわざ書き写すのはなんか違和感があるが、これはそもそも偉い人に仕える人やもしくは偉い人そのものが、日常的ではない何らかの出来事があった場合に、どのように対処したかとか、そうしたらどうなったかを書き留めたものとして価値があったらしい。よく時代劇で「先例がありません」とか言う場面があるが、まさに日記は「先例集」だったようだ。だからある種のマニュアルとして非常に重宝され、多くの書き手によって丁寧に書き写されてきたらしい。なるほど。 -結局、歴史の多くは失われていて、分かっていることは全体のごくわずかで、しかもそれらはたまに新事実の発見によって覆されていると説明されていた。 -そしてこの美術館では、そのような(あやふやかもしれない)歴史をあえて学ぶ必要があるのかと問いかける。そして過去の人が得た教訓を僕たちも得るために必要だと答えている。 *** (1) -僕は思う。過去の人が得た教訓を僕たちも得るために必要だというのには全面的に賛成だ。しかし、僕たちは果たして教訓を得ているだろうか。歴史的事実に関するテストなら嫌というほどに受けた気がするが、そこから得られる教訓について試験で書かされたことが一度でもあるだろうか。・・・そう、僕たちは結局そんなテストは一度も受けていないのだ(非常にいい先生ならそういうテストを作ったかもしれないが、僕はそういう経験は無かった)。 -たとえば物理や化学の学習を考えてほしいのだが、たとえばケプラーの法則は単純にまとまった形で与えられるのであって、かつての天文学者が必死になって観測した座標の記録を暗記するのではない。教訓を得ることが最も大事なら、なぜその教訓の登場人物である歴史上の人物の名前を強調する必要があるのか。なぜ年号が重要なのか。そんな生なデータに一体どれほどの意味があるだろう。 -教訓が必要なら、そのまま教訓を教えればいいではないか。そしてその教訓の根拠を問われたときになって、はじめて歴史上の生データに言及すればいいではないか。それなのに、生データばかり提示して、教訓は各自が勝手に自分で考えてつかみとれといわんばかりの態度では、「教訓の教育としては」かなり非効率である。 -戦争がよくないという教訓を教えたければ、まずそういうべきだ。そしてその上でその根拠を言うべきだ。その根拠の上で重要なのは、もちろん戦争でどんな被害がどれほどあったかであって、それが何年にどこで起きたとかではないはずだ(仮にその戦争が起きた場所や年号が少し違っていたら、それだけでその戦争の持つ意味が変わるのか、教訓が変わるのか。もちろんそんなことはない)。・・・しかし実際は、戦争はよくないなんて歴史の時間には一度も言わないし、被害の規模も後回しだ。最初に出てくるのは年号と国や地域の名前であって、ひどいときはそれだけで(=被害の規模の説明なしに)次の話題になってしまう。 *** (2) -もし教訓を得ることが目的であるなら、そもそも歴史の生データなんて必要なのだろうか。僕たちは演劇や物語や神話やドラマや映画やマンガからでも、人生の教訓を得ることができる。というか、よく出来た作品からであれば、下手な歴史的事実よりも格段に強い印象を受ける(訴えたいことのために話の筋が整理されて余計なノイズが削ってあるから、当然といえば当然のこと)。SFやファンタジーもののように、明らかに実話ではない話からでも、十分に教訓が得られる。・・・ほーら、歴史なんて本当に必要なんだろうか。 -もちろん歴史の研究は必要だ。でもその重要性は、今の教育が重視しているほどではない気がする。歴史の研究は鉄道ファンが鉄道を研究する程度の重要性で十分なのであって(=つまり歴史ファンが研究すればいいのであって)、義務教育で強制的に全員に学ばせるほどのものではない気がする。教訓の重要性は僕も大いに賛同するけど、今の歴史の授業はあきらかにこの目的の達成のためには非効率だ。 *** (3) -これは[[boyaki_a/00098]]と関連するが、過去のいきさつなどの正確な蓄積は、後世に役立てるために最善というわけではないだろう。たとえばOSASKとMonaOSのソースが現在の形なるまでの経過をCVSで完全にたどれるようになっていたとしても、そしてMLのログなどコミュニティのやり取りが完全に残っていたとしても、それはそれほど役立つわけじゃない。それよりもたとえば「30日でできる!OS自作入門」やタネンバウム先生の本のほうが、総情報量はむしろ少ないにもかかわらず、多くの人にとっては役立つだろう。 -もちろんOSASK研究家やMonaOS研究家という人がもしいたら、その人たちにとってはこれらの本よりもCVSやコミュニティのやり取りのほうが何倍も重要だけれども、それは後世の一般の人にとって役立つ情報ではない。役立つのはそういう生データそのものではなく、そこから抽出された手法の体系や教訓であろう。 -そしてそれらの手法の体系や教訓を抽出するには、生データの精度がそんなに高くなっている必要はない。たとえばバグは設計段階でつぶしておくべきという教訓のために、後段階で発見されたバグの厄介さのデータがほしいかもしれないが、そのバグの解決にかかった時間が、30日間なのか26日間なのか、そんなことはどうだっていいだろう。1日なのか30日なのかは重要な差異だが、30か26かは些細なことだ。・・・そもそもソフトウェア開発の教訓だってそんなものが多い。80-20ルールが本当は85-15ルールだったり90-10ルールだったとしても、教訓の趣旨に違いはないし、そもそも比率は処理内容によって違うのだから、比率が重要ならそのプログラムに対して自分で測定するべきだ。 -教訓を得るために精度が必要ないということに関しては「30日でできる!OS自作入門」もいい例である。あの製作手順や制作期間は説明のやりやすさ、理解のしやすさを前提に構成されたものであって、実際にあの順序で作ったわけではないし、あのペースで作ったわけでもない。いうなればほぼ完全にフィクションである。・・・まず説明すべき技術や教訓があって、その技術や教訓を理解するためにどういう実験をしたらいいか後から考えたといっていい。 -ケプラーがケプラーの法則を見つけるにあたりどのようなデータを使ったのか僕はよく知らないが、しかしそれを後世の人に理解させるとしたら、そのときはもっとその法則が見つけやすい時期のデータを用意するだろう。なんなら実際の観測データではなく、ケプラーの法則からデータをでっち上げて(さらに適当な誤差を加えて)提示するかもしれないくらいだ。・・・つまりはそういうことなのだ。本当の生データの価値とはそういうものだ。そこから抽出されたことのほうがはるかに大事で、そのほうが情報量は少ないから遺すのは簡単だし、そんなものは後から関係者が回想するだけでもおそらく十分に得られる。 -そもそも教訓などというものは、1つの事例だけから抽出するものではない。OSASKの場合、MonaOSの場合、Linuxの場合、・・・とそれぞれから同じような一般則が見出せるかどうかだ(1つの事例でしか根拠がないのなら、それは後世に残して役立たせられる教訓ではなく、単にそのプロジェクト特有の問題であろう)。だから個々の場合でデータに精度がある必要はあまりない。もし精度がほしいのなら、むしろ精度を上げるという目的で検証プロジェクトを新たに起こすほうがいいと僕は思う。 ---- -いろいろな作業をすればいろいろな出来事が起きるが、それらはいつか重要な意味を持つかもしれない。しかしどれが重要でどれが不要かはそのときには分からないし、その上たいていほとんどは不要な情報である。 -だからこそ全部残しておけというのがh氏の考え方であって、それなら必要と判明するまでは残す努力をしなくてもいいんじゃないかというのが僕の考え方である。・・・宝が紛れ込んでいるかもしれないとはいえ、多くが役に立たないと分かっているもののためにコストをかけるのはバカらしいし、その宝だって結局は後の検証実験でのデータにはかなわない(検証実験では、何を残すべきかわかってやっているため、必要な情報を十分な精度で大量に集められる)。僕たちには僕たちの目的があるのだから、そのためにこそ努力すべきであって、役に立つか立たないか分からないもののために努力する暇は惜しむべきではないだろうか。むろん、研究家がせっせと情報を回収して蓄積することを否定するつもりはないので、それを妨げるべきではない(そもそも研究家の目的は僕たちの目的とは違うのだから、同じ結論が使えないのは当然である)。 -考えてみてほしい、仮に今日から100年間世界中すべての人が毎日日記を書き、それが完全に残るとしよう。記録としては完全だし、研究に役立つことは間違いないが、そのすべてが必要だと思う人が一人でもいるだろうか。99%、いやそれ以上はただのゴミ情報である。 * こめんと欄 #comment
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* 実際の本物よりも洗練された作り物のほうが十倍はいいと思う -(by [[K]], 2008.08.17) *** (0) -OSC名古屋の翌日、僕は観光で「徳川美術館」にいったわけだけど、そこには「歴史」に関してのとても秀逸な説明があった。まずはそれを紹介したいと思う。 -まず、歴史家が何から歴史を解明しているのかというと、主に現存している記録、日記、手紙などからである。しかしそれらはたいてい書き手の感情や解釈が混ざっていて、どこまでが歴史的事実でどこからが創作かを判断するのはとても難しい。 -そもそもこれらの文章は書き写されなければ残る確率は低い(そうでなければ紙がぼろぼろになって失われる、火事などで失われる、なくす)。で、当時はもちろん印刷なんて出来なかったから、すべて書き写しである。そうなれば、わざわざ書き写したいと思うものしか残らない。ただ事実を淡々と記録したものなんて面白くもなんともない。むしろ歴史的事実に訓話めいた解釈がついたものや、その訓話をさらに効果的にするために誇張したもの、悲劇をより悲劇的に描写し、何かといろいろと大げさにしたもの、そういうもののほうが断然に読み物としては面白い。ということで、歴史的事実は常にゆがめられて伝えられる圧力にさらされ、歴史家は非常に苦労してこれらのノイズを取り除いている。 -結局は日記が一番有力な資料らしい。日記は物語風になってはいないので、なんかこう話をまとめる必要がなく、そのぶん創作される可能性が低い。そもそも他人の日記をわざわざ書き写すのはなんか違和感があるが、これはそもそも偉い人に仕える人やもしくは偉い人そのものが、日常的ではない何らかの出来事があった場合に、どのように対処したかとか、そうしたらどうなったかを書き留めたものとして価値があったらしい。よく時代劇で「先例がありません」とか言う場面があるが、まさに日記は「先例集」だったようだ。だからある種のマニュアルとして非常に重宝され、多くの書き手によって丁寧に書き写されてきたらしい。なるほど。 -結局、歴史の多くは失われていて、分かっていることは全体のごくわずかで、しかもそれらはたまに新事実の発見によって覆されていると説明されていた。 -そしてこの美術館では、そのような(あやふやかもしれない)歴史をあえて学ぶ必要があるのかと問いかける。そして過去の人が得た教訓を僕たちも得るために必要だと答えている。 *** (1) -僕は思う。過去の人が得た教訓を僕たちも得るために必要だというのには全面的に賛成だ。しかし、僕たちは果たして教訓を得ているだろうか。歴史的事実に関するテストなら嫌というほどに受けた気がするが、そこから得られる教訓について試験で書かされたことが一度でもあるだろうか。・・・そう、僕たちは結局そんなテストは一度も受けていないのだ(非常にいい先生ならそういうテストを作ったかもしれないが、僕はそういう経験は無かった)。 -たとえば物理や化学の学習を考えてほしいのだが、たとえばケプラーの法則は単純にまとまった形で与えられるのであって、かつての天文学者が必死になって観測した座標の記録を暗記するのではない。教訓を得ることが最も大事なら、なぜその教訓の登場人物である歴史上の人物の名前を強調する必要があるのか。なぜ年号が重要なのか。そんな生なデータに一体どれほどの意味があるだろう。 -教訓が必要なら、そのまま教訓を教えればいいではないか。そしてその教訓の根拠を問われたときになって、はじめて歴史上の生データに言及すればいいではないか。それなのに、生データばかり提示して、教訓は各自が勝手に自分で考えてつかみとれといわんばかりの態度では、「教訓の教育としては」かなり非効率である。 -戦争がよくないという教訓を教えたければ、まずそういうべきだ。そしてその上でその根拠を言うべきだ。その根拠の上で重要なのは、もちろん戦争でどんな被害がどれほどあったかであって、それが何年にどこで起きたとかではないはずだ(仮にその戦争が起きた場所や年号が少し違っていたら、それだけでその戦争の持つ意味が変わるのか、教訓が変わるのか。もちろんそんなことはない)。・・・しかし実際は、戦争はよくないなんて歴史の時間には一度も言わないし、被害の規模も後回しだ。最初に出てくるのは年号と国や地域の名前であって、ひどいときはそれだけで(=被害の規模の説明なしに)次の話題になってしまう。 *** (2) -もし教訓を得ることが目的であるなら、そもそも歴史の生データなんて必要なのだろうか。僕たちは演劇や物語や神話やドラマや映画やマンガからでも、人生の教訓を得ることができる。というか、よく出来た作品からであれば、下手な歴史的事実よりも格段に強い印象を受ける(訴えたいことのために話の筋が整理されて余計なノイズが削ってあるから、当然といえば当然のこと)。SFやファンタジーもののように、明らかに実話ではない話からでも、十分に教訓が得られる。・・・ほーら、歴史なんて本当に必要なんだろうか。 -もちろん歴史の研究は必要だ。でもその重要性は、今の教育が重視しているほどではない気がする。歴史の研究は鉄道ファンが鉄道を研究する程度の重要性で十分なのであって(=つまり歴史ファンが研究すればいいのであって)、義務教育で強制的に全員に学ばせるほどのものではない気がする。教訓の重要性は僕も大いに賛同するけど、今の歴史の授業はあきらかにこの目的の達成のためには非効率だ。 *** (3) -これは[[boyaki_a/00098]]と関連するが、過去のいきさつなどの正確な蓄積は、後世に役立てるために最善というわけではないだろう。たとえばOSASKとMonaOSのソースが現在の形なるまでの経過をCVSで完全にたどれるようになっていたとしても、そしてMLのログなどコミュニティのやり取りが完全に残っていたとしても、それはそれほど役立つわけじゃない。それよりもたとえば「30日でできる!OS自作入門」やタネンバウム先生の本のほうが、総情報量はむしろ少ないにもかかわらず、多くの人にとっては役立つだろう。 -もちろんOSASK研究家やMonaOS研究家という人がもしいたら、その人たちにとってはこれらの本よりもCVSやコミュニティのやり取りのほうが何倍も重要だけれども、それは後世の一般の人にとって役立つ情報ではない。役立つのはそういう生データそのものではなく、そこから抽出された手法の体系や教訓であろう。 -そしてそれらの手法の体系や教訓を抽出するには、生データの精度がそんなに高くなっている必要はない。たとえばバグは設計段階でつぶしておくべきという教訓のために、後段階で発見されたバグの厄介さのデータがほしいかもしれないが、そのバグの解決にかかった時間が、30日間なのか26日間なのか、そんなことはどうだっていいだろう。1日なのか30日なのかは重要な差異だが、30か26かは些細なことだ。・・・そもそもソフトウェア開発の教訓だってそんなものが多い。80-20ルールが本当は85-15ルールだったり90-10ルールだったとしても、教訓の趣旨に違いはないし、そもそも比率は処理内容によって違うのだから、比率が重要ならそのプログラムに対して自分で測定するべきだ。 -教訓を得るために精度が必要ないということに関しては「30日でできる!OS自作入門」もいい例である。あの製作手順や制作期間は説明のやりやすさ、理解のしやすさを前提に構成されたものであって、実際にあの順序で作ったわけではないし、あのペースで作ったわけでもない。いうなればほぼ完全にフィクションである。・・・まず説明すべき技術や教訓があって、その技術や教訓を理解するためにどういう実験をしたらいいか後から考えたといっていい。 -ケプラーがケプラーの法則を見つけるにあたりどのようなデータを使ったのか僕はよく知らないが、しかしそれを後世の人に理解させるとしたら、そのときはもっとその法則が見つけやすい時期のデータを用意するだろう。なんなら実際の観測データではなく、ケプラーの法則からデータをでっち上げて(さらに適当な誤差を加えて)提示するかもしれないくらいだ。・・・つまりはそういうことなのだ。本当の生データの価値とはそういうものだ。そこから抽出されたことのほうがはるかに大事で、そのほうが情報量は少ないから遺すのは簡単だし、そんなものは後から関係者が回想するだけでもおそらく十分に得られる。 -そもそも教訓などというものは、1つの事例だけから抽出するものではない。OSASKの場合、MonaOSの場合、Linuxの場合、・・・とそれぞれから同じような一般則が見出せるかどうかだ(1つの事例でしか根拠がないのなら、それは後世に残して役立たせられる教訓ではなく、単にそのプロジェクト特有の問題であろう)。だから個々の場合でデータに精度がある必要はあまりない。もし精度がほしいのなら、むしろ精度を上げるという目的で検証プロジェクトを新たに起こすほうがいいと僕は思う。 ---- -いろいろな作業をすればいろいろな出来事が起きるが、それらはいつか重要な意味を持つかもしれない。しかしどれが重要でどれが不要かはそのときには分からないし、その上たいていほとんどは不要な情報である。 -だからこそ全部残しておけというのがh氏の考え方であって、それなら必要と判明するまでは残す努力をしなくてもいいんじゃないかというのが僕の考え方である。・・・宝が紛れ込んでいるかもしれないとはいえ、多くが役に立たないと分かっているもののためにコストをかけるのはバカらしいし、その宝だって結局は後の検証実験でのデータにはかなわない(検証実験では、何を残すべきかわかってやっているため、必要な情報を十分な精度で大量に集められる)。僕たちには僕たちの目的があるのだから、そのためにこそ努力すべきであって、役に立つか立たないか分からないもののために努力する暇は惜しむべきではないだろうか。むろん、研究家がせっせと情報を回収して蓄積することを否定するつもりはないので、それを妨げるべきではない(そもそも研究家の目的は僕たちの目的とは違うのだから、同じ結論が使えないのは当然である)。 -考えてみてほしい、仮に今日から100年間世界中すべての人が毎日日記を書き、それが完全に残るとしよう。記録としては完全だし、研究に役立つことは間違いないが、そのすべてが必要だと思う人が一人でもいるだろうか。99%、いやそれ以上はただのゴミ情報である。 * こめんと欄 #comment
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