boyaki_a/00114
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20212021
* 「勉強」は時に有害である -(by [[K]], 2008.09.26) *** (0) -基本的には[[boyaki_a/00083]]の続きである。要するに、世間の人の多くが自分の知らないことを調べて勉強するのを何の不安も疑問もなく「いいこと」だと思っていることが嘆かわしいのだ。 *** (1) -世間の人は一般的にどんな知識でも「知らない」よりは「知っている」ほうがいいと信じている。実は僕も学生時代くらいまでは本気でそう思っていた。でもこれは間違っていると今は思う。知っていることは先入観につながる。余計な先入観は新しいことに挑戦するためには非常に有害だ。もちろんどんなに知識があっても先入観を持たずに取り組めるという天才ならこの弊害はないので、僕の論は当てはまらない。でもそんな人はものすごく少ないだろうし、当然僕も先入観に振り回される。知らないからこそ、ためしにやってみるということが僕にはよくある。そしてそれがいい結果を生むことが少なくない。知っていたらやってみようとは思わなかっただろう。 -先入観に振り回されるなら、先入観に振り回されないように訓練すればいいという考え方はある。確かに訓練すればこの能力は獲得できるのかもしれない。でも先入観にとらわれなくなるように訓練することで人生を消費し、さらに差し迫って必要ではないような知識をムダに蓄えることに時間を使っていたら、さて先入観にとらわれずに新しいことに挑戦する時間が一体どれほど残っているだろう。やっぱり平凡な人や僕のように能力の劣る者のとるべき戦略ではない気がする。 *** (2) -ある問題があって、その答えを知りたいとしよう。今ではインターネットで検索すればたいてい答えはすぐに見つかる。だからみんな検索する。それでその通りにやる。当然うまくいく。みんなそのやりかたを覚えるだろうか。いや覚えない。だって調べればすぐに出てくるんだから、なぜわざわざ覚える必要があるのか。覚えていないでそのつど調べれば、むしろ最新の新しい方法をいち早く発見できるかもしれない。 -しかしこの方法はあることを犠牲にしている。それは覚えないということだ。昔は知識をたくさん持つ人は賢い人だった、なぜなら記憶する過程でたくさんの知識が整理されて、対処法の一般法則みたいなものを把握していたし、差異がある場合はそれが何に起因するかを考えることができたから。しかしインターネットに散らばっただけの知識はそうではない。人類の知識の全体を見る視点がない。個々の問題の個々の対処法が散らばっているだけである。数学で言えば特殊解ばかりで一般解がない(そりゃ特定の問題を解決するだけなら抽象的な一般解よりも特殊解のほうが役に立てやすい)。 -また調べるのが簡単というのはもう一つ弊害がある。それは考えなくなるということだ。これは先の知識をたくさん持つ人にも当てはまる問題だ。考えなくなれば、まだ誰も解決法を示してくれていない問題にぶつかった場合、これを自分で解決することが出来ない。類似のケースから方法を考えるとか、物事の本質から解決法を考えるとか、そういうことが出来ない。結局調べるだけの人、覚えているだけの人は、過去の誰かがうまくやったことを猿真似しているだけだ。いやむしろその問題を解いた人ほどそのやり方の真意を理解してはいないだろうから、劣化コピーとさえいえるかもしれない。 *** (3) -僕にとって「勉強」は何のためにするのかといえば、「研究」の土台を作るためである。研究とは誰かに教えてもらうのではなく、自分でやり方を考えることだ。それはたいてい先人のやり方にすら及ばない結果に終わる。でもそれでもかまわない。僕はそれでも研究をやめるつもりはない。 -分からないことにぶつかったら僕はまず考える。そして自分なりのやり方を考え出す。もちろん全く思いつけない場合も時にはあるから、そのときはギブアップする。そうやって得た自分のやり方で満足できる場合、僕は正解を調べない。調べて余計な知識を付けない。これは世間の大衆の考え方に押し流されないための予防策であるし、時間の節約でもある。 -自分なりの答えを出したけどどうもしっくりこない場合、もしくはギブアップしてしまった場合などは、僕はいわゆる「正解」を探しに行く。そこには僕の思いもよらない答えがある。それがもし自分にはおそらく一生かけても思いつけないと思えるほどのすばらしい内容だった場合、僕は感動する。感激する。そしてそういうものは忘れたくても忘れられない。また僕はその答え以上にその答えを導くのにどういう考え方だったのかということに興味がある。だから答えだけしか載っていない資料は僕にはほとんど魅力がない。試行錯誤の過程がとても知りたい(そういう思いから「OS自作入門」はあの形式になっている)。それが分かれば、僕も同じくらいのレベルの発想が自分だけでできる日が来るかもしれない。答えしか見つからない場合、もしかしてこの発見者は運良く思いついただけなんじゃないかと疑うことすらある。そういう場合、その発見者への畏敬の念はかなり薄れる。 -調べた結果が自分の研究結果よりもお粗末だということも最近は珍しくはない。そんなときはニンマリする(笑)。かつてはこうじゃなかった。そんなとき僕も少しは進歩したなと思う。 -僕にとっては学校での勉強も結局これだった。つまり僕にとって問題集の後ろにある回答は模範解答でもなんでもなく、ただの回答例でしかない。自分の解き方のほうがずっと簡潔で本質を突いていると思うことが年に数回はあった。でも周囲の人たちは模範解答を一生懸命に覚えていた。確かにそのやり方ならその問題は解けるようになるだろう。でも未知の問題を解けるようになるわけじゃない。そして誰かがもう解けるようになってしまった問題を自分も解けるようになることに一体どれほどの意味があるだろう。そんなのは他の人でも出来ることが出来るだけの人間で、その人にしか出来ない何かを持っているかけがえのない人ではない。他人と同じことしか出来ない場合で自分が優位に立つためには、他の人よりも早く正確にできるということでしか競えない。それがどれほどつらいことであるかは、実社会で暮らしてみればすぐに分かる。しかもそれは平均より早いという程度ではダメだ。国内で上位100位くらい入るくらいの実力はないと、それが能力として認められることはなく、認められなければ組織が苦しくなったときは真っ先にリストラされるし、リストラはないにしても待遇はよくないだろう。・・・つまりみんながやっていた勉強法は、最終的に上位100位くらいまでに残れる人のみが得する勉強法であって、僕のようにそんな望みは微塵もない人には全く適していない。それなら全部の問題を解けなくてもいいから、その代わり一つでも多く、模範解答以上の解を自力で導き出せるようになるべきなのだ。その訓練の材料として学校教育を利用すればいいのだ。 -僕が「勉強軽視・研究重視」のやり方を学生時代から取っていたのは、何も以上のことをぼんやりとでも把握していたからじゃない。単に記憶することが極端に不得意だったからだ。覚えられないから、考えるしかない。もし人並みの記憶力が最初からあれば、僕はこんなことはしないできっとみんなと同じような方法で勉強し、そしてみんなと同じような競争にさらされて苦しんでいただろう。・・・ここからいえることは、つまり、欠点は必ずしも欠点ではないということだ。僕がとにかく訓練して記憶力を身につけたら、今頃最初から記憶力がある人よりもさらに劣る結果に終わっていただろう。他の人よりも不得意なことがあれば、それを無理に直接克服する必要は全くない。目が見えないのなら耳をすませばいい。早く走れないのなら乗り物の運転がうまくなればいい。お金がないなら少ししか使わないでも楽しく暮らせる方法を探せばいい。最新のハードウェアが買えないなら、古いハードウェアを徹底活用する方法を見つければいい。物事を知らなければ考えればいい。なぜ得られないものをそこまで直接求めるのか。得られないものを直接求めてもそれは最初から持っている人にはたいてい及ばない。代替技術を磨けばいいではないか。僕もかつては自分の能力のなさを嘆いたりしたが、今では他の人とは違うスタートラインに立ついいきっかけになったと思っている。 -国語が苦手なのでもっと勉強します・・・違うだろ、国語が苦手なので算数をがんばります、だろ。どうしてこう考えないんだろう。どうして自分の能力を円にしようと思うのだろう。針のように一点に特化しているほうが、オンリーワンになれて人類にも貢献できて人の役にも立ちやすいのに。 *** (4) -話が前後したが、とにかく勉強は研究の敵だ。差し迫った問題がない限り勉強なんてするべきじゃない。僕はたとえば高校時代に学校の授業で古文の勉強をした自分をひどく後悔している。古文なんて僕には全く不要な知識だ。古代の日本の文献を読むことはないし、もし読む必要があればそのときに勉強すればいいのだ。いろんなことを精力的に研究していた高校生時代の貴重な時間を使うべきではなかった。むしろそんな不要な知識のせいで、言語の文法構造はこんな感じであるべきなのだろうという余計な先入観があり、理想の自然言語はどんなものだろうと考えをめぐらすときの邪魔になっている。 -本当に必要なことだけを本当に必要なときに本当に必要なだけ勉強するのが多分正しい。余計にやるべきじゃない。それよりも考えるべきだ。できるだけ少ない知識で、つまりノイズの少ない状態で考えるべきだ。正解には程遠くても自分の感性のほうを大事にするべきだ。それはまだ誰も進んでいない道を示しているかも知れず、そしてその道を極めれば世間の「正解」なんて吹き飛ぶほどの結論が待っているかもしれない。無知であることは財産だ。一度知ってしまうと知らなかった心理状態に戻ることは難しい。その貴重な状態を必要もないのにわざわざ時間まで使って失うことはない。 -無知の価値を知らずに、そんなことも知らないのかとこんな僕をあざわらう人はいるかもしれない。しかし笑いたければ笑わせておけばいい。どちらが有意義な人生かは言うまでもない。常識を知らない事だって常識を客観的かつ新鮮に評価するためには必要なことだし、それは無用な常識に縛られている人にはできないことなのだ。 -みんながいいといっているものをいいと思う感性は何も生み出さない。みんながいいといっているけど本当にそうかな、みんなが悪いといっているけどいいところもあるんじゃないか、そういう感性こそ役に立つのだ。 -「正解」とされているものを実践してそれでそれなりの結果が出て満足。他の方法を試して比較するなんてことはしない。失敗がそんなに怖いのか。自分が責任を取れる範囲であれば、あれこれ実験してみることで「正解」をさらに改良することだって出来るかもしれないのに。 * こめんと欄 #comment
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* 「勉強」は時に有害である -(by [[K]], 2008.09.26) *** (0) -基本的には[[boyaki_a/00083]]の続きである。要するに、世間の人の多くが自分の知らないことを調べて勉強するのを何の不安も疑問もなく「いいこと」だと思っていることが嘆かわしいのだ。 *** (1) -世間の人は一般的にどんな知識でも「知らない」よりは「知っている」ほうがいいと信じている。実は僕も学生時代くらいまでは本気でそう思っていた。でもこれは間違っていると今は思う。知っていることは先入観につながる。余計な先入観は新しいことに挑戦するためには非常に有害だ。もちろんどんなに知識があっても先入観を持たずに取り組めるという天才ならこの弊害はないので、僕の論は当てはまらない。でもそんな人はものすごく少ないだろうし、当然僕も先入観に振り回される。知らないからこそ、ためしにやってみるということが僕にはよくある。そしてそれがいい結果を生むことが少なくない。知っていたらやってみようとは思わなかっただろう。 -先入観に振り回されるなら、先入観に振り回されないように訓練すればいいという考え方はある。確かに訓練すればこの能力は獲得できるのかもしれない。でも先入観にとらわれなくなるように訓練することで人生を消費し、さらに差し迫って必要ではないような知識をムダに蓄えることに時間を使っていたら、さて先入観にとらわれずに新しいことに挑戦する時間が一体どれほど残っているだろう。やっぱり平凡な人や僕のように能力の劣る者のとるべき戦略ではない気がする。 *** (2) -ある問題があって、その答えを知りたいとしよう。今ではインターネットで検索すればたいてい答えはすぐに見つかる。だからみんな検索する。それでその通りにやる。当然うまくいく。みんなそのやりかたを覚えるだろうか。いや覚えない。だって調べればすぐに出てくるんだから、なぜわざわざ覚える必要があるのか。覚えていないでそのつど調べれば、むしろ最新の新しい方法をいち早く発見できるかもしれない。 -しかしこの方法はあることを犠牲にしている。それは覚えないということだ。昔は知識をたくさん持つ人は賢い人だった、なぜなら記憶する過程でたくさんの知識が整理されて、対処法の一般法則みたいなものを把握していたし、差異がある場合はそれが何に起因するかを考えることができたから。しかしインターネットに散らばっただけの知識はそうではない。人類の知識の全体を見る視点がない。個々の問題の個々の対処法が散らばっているだけである。数学で言えば特殊解ばかりで一般解がない(そりゃ特定の問題を解決するだけなら抽象的な一般解よりも特殊解のほうが役に立てやすい)。 -また調べるのが簡単というのはもう一つ弊害がある。それは考えなくなるということだ。これは先の知識をたくさん持つ人にも当てはまる問題だ。考えなくなれば、まだ誰も解決法を示してくれていない問題にぶつかった場合、これを自分で解決することが出来ない。類似のケースから方法を考えるとか、物事の本質から解決法を考えるとか、そういうことが出来ない。結局調べるだけの人、覚えているだけの人は、過去の誰かがうまくやったことを猿真似しているだけだ。いやむしろその問題を解いた人ほどそのやり方の真意を理解してはいないだろうから、劣化コピーとさえいえるかもしれない。 *** (3) -僕にとって「勉強」は何のためにするのかといえば、「研究」の土台を作るためである。研究とは誰かに教えてもらうのではなく、自分でやり方を考えることだ。それはたいてい先人のやり方にすら及ばない結果に終わる。でもそれでもかまわない。僕はそれでも研究をやめるつもりはない。 -分からないことにぶつかったら僕はまず考える。そして自分なりのやり方を考え出す。もちろん全く思いつけない場合も時にはあるから、そのときはギブアップする。そうやって得た自分のやり方で満足できる場合、僕は正解を調べない。調べて余計な知識を付けない。これは世間の大衆の考え方に押し流されないための予防策であるし、時間の節約でもある。 -自分なりの答えを出したけどどうもしっくりこない場合、もしくはギブアップしてしまった場合などは、僕はいわゆる「正解」を探しに行く。そこには僕の思いもよらない答えがある。それがもし自分にはおそらく一生かけても思いつけないと思えるほどのすばらしい内容だった場合、僕は感動する。感激する。そしてそういうものは忘れたくても忘れられない。また僕はその答え以上にその答えを導くのにどういう考え方だったのかということに興味がある。だから答えだけしか載っていない資料は僕にはほとんど魅力がない。試行錯誤の過程がとても知りたい(そういう思いから「OS自作入門」はあの形式になっている)。それが分かれば、僕も同じくらいのレベルの発想が自分だけでできる日が来るかもしれない。答えしか見つからない場合、もしかしてこの発見者は運良く思いついただけなんじゃないかと疑うことすらある。そういう場合、その発見者への畏敬の念はかなり薄れる。 -調べた結果が自分の研究結果よりもお粗末だということも最近は珍しくはない。そんなときはニンマリする(笑)。かつてはこうじゃなかった。そんなとき僕も少しは進歩したなと思う。 -僕にとっては学校での勉強も結局これだった。つまり僕にとって問題集の後ろにある回答は模範解答でもなんでもなく、ただの回答例でしかない。自分の解き方のほうがずっと簡潔で本質を突いていると思うことが年に数回はあった。でも周囲の人たちは模範解答を一生懸命に覚えていた。確かにそのやり方ならその問題は解けるようになるだろう。でも未知の問題を解けるようになるわけじゃない。そして誰かがもう解けるようになってしまった問題を自分も解けるようになることに一体どれほどの意味があるだろう。そんなのは他の人でも出来ることが出来るだけの人間で、その人にしか出来ない何かを持っているかけがえのない人ではない。他人と同じことしか出来ない場合で自分が優位に立つためには、他の人よりも早く正確にできるということでしか競えない。それがどれほどつらいことであるかは、実社会で暮らしてみればすぐに分かる。しかもそれは平均より早いという程度ではダメだ。国内で上位100位くらい入るくらいの実力はないと、それが能力として認められることはなく、認められなければ組織が苦しくなったときは真っ先にリストラされるし、リストラはないにしても待遇はよくないだろう。・・・つまりみんながやっていた勉強法は、最終的に上位100位くらいまでに残れる人のみが得する勉強法であって、僕のようにそんな望みは微塵もない人には全く適していない。それなら全部の問題を解けなくてもいいから、その代わり一つでも多く、模範解答以上の解を自力で導き出せるようになるべきなのだ。その訓練の材料として学校教育を利用すればいいのだ。 -僕が「勉強軽視・研究重視」のやり方を学生時代から取っていたのは、何も以上のことをぼんやりとでも把握していたからじゃない。単に記憶することが極端に不得意だったからだ。覚えられないから、考えるしかない。もし人並みの記憶力が最初からあれば、僕はこんなことはしないできっとみんなと同じような方法で勉強し、そしてみんなと同じような競争にさらされて苦しんでいただろう。・・・ここからいえることは、つまり、欠点は必ずしも欠点ではないということだ。僕がとにかく訓練して記憶力を身につけたら、今頃最初から記憶力がある人よりもさらに劣る結果に終わっていただろう。他の人よりも不得意なことがあれば、それを無理に直接克服する必要は全くない。目が見えないのなら耳をすませばいい。早く走れないのなら乗り物の運転がうまくなればいい。お金がないなら少ししか使わないでも楽しく暮らせる方法を探せばいい。最新のハードウェアが買えないなら、古いハードウェアを徹底活用する方法を見つければいい。物事を知らなければ考えればいい。なぜ得られないものをそこまで直接求めるのか。得られないものを直接求めてもそれは最初から持っている人にはたいてい及ばない。代替技術を磨けばいいではないか。僕もかつては自分の能力のなさを嘆いたりしたが、今では他の人とは違うスタートラインに立ついいきっかけになったと思っている。 -国語が苦手なのでもっと勉強します・・・違うだろ、国語が苦手なので算数をがんばります、だろ。どうしてこう考えないんだろう。どうして自分の能力を円にしようと思うのだろう。針のように一点に特化しているほうが、オンリーワンになれて人類にも貢献できて人の役にも立ちやすいのに。 *** (4) -話が前後したが、とにかく勉強は研究の敵だ。差し迫った問題がない限り勉強なんてするべきじゃない。僕はたとえば高校時代に学校の授業で古文の勉強をした自分をひどく後悔している。古文なんて僕には全く不要な知識だ。古代の日本の文献を読むことはないし、もし読む必要があればそのときに勉強すればいいのだ。いろんなことを精力的に研究していた高校生時代の貴重な時間を使うべきではなかった。むしろそんな不要な知識のせいで、言語の文法構造はこんな感じであるべきなのだろうという余計な先入観があり、理想の自然言語はどんなものだろうと考えをめぐらすときの邪魔になっている。 -本当に必要なことだけを本当に必要なときに本当に必要なだけ勉強するのが多分正しい。余計にやるべきじゃない。それよりも考えるべきだ。できるだけ少ない知識で、つまりノイズの少ない状態で考えるべきだ。正解には程遠くても自分の感性のほうを大事にするべきだ。それはまだ誰も進んでいない道を示しているかも知れず、そしてその道を極めれば世間の「正解」なんて吹き飛ぶほどの結論が待っているかもしれない。無知であることは財産だ。一度知ってしまうと知らなかった心理状態に戻ることは難しい。その貴重な状態を必要もないのにわざわざ時間まで使って失うことはない。 -無知の価値を知らずに、そんなことも知らないのかとこんな僕をあざわらう人はいるかもしれない。しかし笑いたければ笑わせておけばいい。どちらが有意義な人生かは言うまでもない。常識を知らない事だって常識を客観的かつ新鮮に評価するためには必要なことだし、それは無用な常識に縛られている人にはできないことなのだ。 -みんながいいといっているものをいいと思う感性は何も生み出さない。みんながいいといっているけど本当にそうかな、みんなが悪いといっているけどいいところもあるんじゃないか、そういう感性こそ役に立つのだ。 -「正解」とされているものを実践してそれでそれなりの結果が出て満足。他の方法を試して比較するなんてことはしない。失敗がそんなに怖いのか。自分が責任を取れる範囲であれば、あれこれ実験してみることで「正解」をさらに改良することだって出来るかもしれないのに。 * こめんと欄 #comment
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