承認欲求など
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- なんか私のまわりの優秀な人たちの間で、一定の割合で悩んでいる人がいる気がするので・・・。
(1)
- 「他人から認められたい」と思っている人がいる。すごいねと言われたり、尊敬されたりしたい。
- まあそれは好みとしては分かる。でもそれが当然だとは思わないし、いいことだとも思っていない。
- 私は他人から認められたいとは思っていない。・・・私はもちろん他人の迷惑にはなりたくはないが、しかし無理して同時代の人に評価されなければいけないとも思っていない。
- いや、評価されたくてたまらない人は是非それを目指せばいいとは思うけど、それは要するに世間の言いなりになるということだ。何が必要で何が不要かを自分では判断せずに、世間の需要にこたえるということになる。他人なんて気まぐれで、作ってできあがったころには「やっぱりこれいらないや」なんて言われることは全然珍しくないけど、でも評価されたいのなら結局はそういうリスクも承知の上で頑張るしかないと私は思う。
- 一方で私はそんな気まぐれな評価に何の価値があるんだろうかと思うので、世間から評価されることにほとんど価値を感じない。
- 私が何かプログラムを書くとき、それはたいてい世間の問題を解決するためのものではない。自分の問題を解決するために書いている。自分が何かに苦労して、それを解消しようと思って作り始める。
- 私は作っていて不安を感じることはない。これを作っても使ってもらえないんじゃないか、なんて思わない。だって私が使うのだから。他の人は使わないかもしれないけど、別に最初から使ってもらいたいなんて思っていないので、それはどうだっていい。
(2)
- 「自分は成長しなければいけない」と思っている人もいる。毎年何か新しいことを覚えていかなければいけない、みたいな。
- これももちろん結構なことだとは思うけど、私は成長を目的にはしないので、別に成長がなくてもよい。成長は手段だ。自分のやりたいことができているのなら、それ以上に学ぶ必要がどこにあるだろう。成長しなかった自分を恥じる必要なんてないと思っている。
(3)
- 流行を追いかける人も多い。私は流行は追わない。だって追う必要がないから。
- みんな64ビットのプログラミングをしているけど、私は今も32ビットで書くのがほとんどだ。みんな最新の新しい言語を学んでいるけど、私は今もC言語を一番よく使っている。・・・なぜか?・・・だって、私のやりたいことは32ビットでも十分にできるし、C言語だけで十分にできるから。それ以上の理由がどうして必要なんだろう。
- なるほど、64ビットにしたら10%くらいはプログラムが高速になるのかもしれない。でも私はそもそもそんな10%を追い求めるようなことはめったにない。PCはAtomとかCeleronとかAMD E2-9000eとかそんなのにしか興味がない。メモリだってChrome以外では4GB以上が必要だと感じたことがない。だからうちのマシンはそんな3万円程度のマシンばかりだ。私はそれで十分にやりたいことができるので、何も困らない。
- 私は「64ビットではないとできない何か」「C言語では不便すぎてできない何か」をやりたくなったら、きっとその時はやると思う。でも今はやらない。
こめんと欄
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