2013年のメモ #0001
2013.01.01 Tue #0
- お正月になってしまった。こんなに長期に更新をサボったのに、肝心の原稿はまだ進んでない。やばいな・・・。
- さて僕は最近結露に悩んでいる。どうやったら除湿できるかを考えたところ、何か特別な装置は必要なくて、結露した水を集めるのが一番コスト的によいのではないかと考えた。
- それで雑巾でふき取っていたのだけど、これが少々しんどい。ちなみに一度回収しても、2時間後にはまだ水滴いっぱいになっている。断熱カーテン+窓ガラスの水回収能力は相当なものだ。
- ということでアマゾンで以下を注文。
- 「結露とりワイパー S 山崎産業」
- 「多目的ピペット デカスポイト 10cc」
- これでどんどん回収してやるぞー!!
2013.01.01 Tue #1
- 本日2つめの話題。知人友人の間では、ラズベリーパイという名刺サイズARM11マシンが話題になっているが、僕はやっぱりディスプレイやキーボードもそろった状態での最安値を追求したい。
- ということで、これが気になる。非常に気になる。
- これらは、このブログを快適に更新できるのだろうか?今使っているEeePC-1011PXと同じくらいでいいんだ・・・。
2013.01.02 Wed
- 最近思ったことを少し。
- 世間では格差社会というものが問題になっているけど、僕はこれに賛成できない。格差がいけないという多くの人たちは、自分は貧しいけれど、他人が自分よりかなり裕福なのが許せないという。・・・それは論理がおかしい。これに対し、たとえばこういう論理なら僕も大賛成できる。「自分は他人よりも十分によく働いて会社を儲けさせているのに、自分のほうが給料が少ない。」
- 他人が自分より有能なのだとしたら、収入で負けるのは当たり前のことだ。・・・僕はおそらく社長よりも給料が少ないが、それを不満に思ったことはない。僕の何倍の収入があるのかは知らないけど、10倍でも100倍でも不満はない。大事なのは他人の収入なのか?違うだろう、自分の収入だ。自分が努力してそれに見合った収入が得られるのであれば、それでいいじゃないか。他人と比べて差があるとか無いとか、そんなことがどうして問題なのか。ただねたんでいるだけなんじゃないのか?言葉をかっこよく「格差」とか言っているだけで、要するに他人がうらやましいだけなんじゃないか?
- 繰り返すけど、自分が十分に働いているのにそれに見合った給料がもらえないと感じているのなら、それは問題だ。僕もそう思う。でもそれは他人がいくらもらっているかとは無関係だ。・・・もし日本中のみんなが労働に見合った収入がもらえていない状態になったとして、僕はそのときにそれを重大な社会問題だと思う。しかし格差でしかものを考えない人たちはこれを問題なしというのだろう。差はないから。・・・実にくだらない考え方だ。
- もともと人間ってこんなに他人のことをねたむようなものだろうか。僕はマスコミのミスリードを感じる。「こんなにお金持ちの人がいますよ、ねえねえ、どう思う?」って聞いて回れば、「そりゃまあ、もらいすぎのような気がしますね」と言い出す人は出るだろう。これを報道し、また質問する。そしてこれを繰り返すうちに、自分たちがもらえないのはもらえている人のせいだという責任転嫁が始まり、ついには自分の能力を棚に上げて有能な人を逆恨みしてたたくようになった。・・・こんなくだらない策にひっかかる人は馬鹿だ。しかしこんなことを仕組んだマスコミは万死に値する。
2013.01.03 Thu
- 01.01の続編。結露とりワイパーが届いた。これはすごい。びっくりするほどたくさん水がとれた。これがあれば除湿機なんて要らないんじゃないか?雑巾で集めていたときは何倍も違う。
- 部屋の湿度もだんだん下がってきた気がする。
2013.01.05 Sat
- 新幹線停車駅名の頭文字はひらがなをどのくらい完備しているだろうか?という実にどうでもいいことを思いついた。
- あおもり、いわて、うえの、えちごゆざわ、おおみや、かるいざわ、きょうと、・・・
- 「く」で詰まってそれ以降は考えてない(笑)
2013.01.20 Sun #0
- あなたは誰かを尊敬していますか?それとも誰も尊敬していませんか?
- 僕は尊敬している人がいる、たくさんいる。
- 尊敬する人は誰でもいい。今も生きている人、歴史上の偉人、物語の登場人物、どんな人でもいい。いやなんなら人間でなくてもかまわない。しかしとにかく尊敬する人はいますか?
- 尊敬する人がいないという場合、それはつまり自分はパーフェクトだということなんだろうか?それとも他人の長所を認めることができない性格なのだろうか。
- 誰かを尊敬するということは、すべてにおいてその人が自分よりも優れているということを意味しない。「これこれの事柄については○○氏を尊敬している」というだけのことなのだ。どうしてそれすらないのだろうか。
- 誰かを尊敬するということは、自分のオリジナリティの放棄を意味しない。むしろ「尊敬する人なんていませんという人のほうが、凡人である傾向があるのではないか」とさえ思う。
- 尊敬する人がいないという場合、尊敬する人を探さなくていいのだろうか?もっと人を知るべきなんじゃないだろうか?
- 尊敬する人がいる場合、自分が迷ったり悩んだりしたときに「こういうとき○○氏ならどうするだろうか?」という問いを立てて自問することができる。それは結局自分の中の○○氏であって、本当の○○氏ではないのだけれど、しかしそれがいいのだと思う。自分の中の○○氏はきっといいように美化されている。つまり尊敬に値する程度に理想化されているわけだ。だからこそ、自分が本当にほしい結論を教えてくれる。
- だから尊敬する人がいるというのは、自分の中に複数の視点を持つことになって、結果的によい判断ができる。僕はそう思う。
2013.01.20 Sun #1
- あなたは就職先や進学先を決めるときに、何で決めていますか?
- 僕は、今「サイボウズ・ラボ」という会社いるけど、僕はこの会社がソフトウェアに関する会社だということしか知らないまま就職を強く希望した。具体的に何を作っているのかとか、それが社会にどのように役立っているのかとか、そんなことはほとんど気にしていなかった。
- まあラボ・ユースのことは知っていた。そしてそれには大変感銘を受けていた。
- 僕は知人たちが楽しそうに働いているのを見て、この会社に行きたいと思った。尊敬している人があんなに楽しそうに働いているのだから、この会社はきっといい会社に違いない。僕がここに行きたいと思った理由はそれだ。それしかない。
- この会社で自分が活躍できるかどうかなんてぜんぜん分からなかった。だから面接のときに自分に何ができるのかを率直に話して「こんな私ですが何か仕事はないでしょうか?」と言ったくらいなのだから(苦笑)。
- 何が言いたいのかというと、今多くの人たちは、学校や会社を選ぶときに、そこで何をやるかとか将来性はどうなのかとかお給料はどうなのかとか、そういうことをすごく気にしている気がする。それはそれで大いに結構なことだと思うけど、一方で、尊敬する人と一緒に働きたいとか、先輩がいる会社だからとか、なんかそういう理由で選ぶ人がもうちょっといてもいいんじゃないと思うのだ。自分がそうだから特にそう思う。
2013.01.20 Sun #2
- 何か失敗をしてしまったとき、どうして自分は失敗したのか、どうすれば同じ失敗を繰り返さないですむのか、誰にどう謝るべきなのか、みたいな事を本当に深刻に悩む人がいる。
- いやそれは実に立派なことで、尊敬するけど、しかしその一方で、こうしたらいいんじゃないかと思うことがある。
- 笑ってごまかせばいいではないか。
- なんかもういろいろとダメで、もう笑うしかない状況って言うのがたまにある。
- それが結局は最もよい結果になることもある。
- 「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」・・・アルフォンス・デーケン
- すみません、これはただ思い出しただけです。今回の文脈には合ってないかもしれません。
2013.01.24 Thu
- naskのソースがほしいですと海外版OS自作入門の読者に言われて、CD-ROMに入っているけどあれじゃあ分かりにくいかなあと思い、そんでもってついで最新のnaskの内容にアップデートしようとしたら、なんかミスってうまく行かない。むう。
2013.02.15 Fri
- 相手に名前を教えてしまったら、それ以降相手に呼ばれていろいろ頼まれてしまう。命令されるかもしれない。それゆえに、名前を教えないとか、名前を聞くときはまず名乗れとか、そういう文化がある(そういう考え方をする人もいるという意味)。もしくは名前を与えることが、支配の象徴だったりする。名(な)を賜(たまわ)るとか。逆に名を与えられていることが名誉になったりすることもある。
- なんでこんな話をしたのかというと、僕たちはプログラムの際に変数名をどんどんつけるし、ファイルもファイル名をどんどんつける。気軽につける。だけどそれって考えようによっては結構すごいことじゃないかなーと。
- 作曲家は自作の曲にどんどん題名をつけるだろうし、小説家も自作の小説にどんどん題名をつけるだろう。小説なら登場人物にも名前をつけなきゃいけないし、章ごとに題名をつけることだってある。
- となるとプログラマとかファイル管理とかは小説家くらいの頻度でいろいろなものに名前をつけているのかな。それとももっと多いのかな?
- しかし一方で全ての人に小説家のセンスがあるわけではないと思うので、もしかしたらユーザが適切な名前をつけていくのは結構苦痛かもしれない。システムが適当にfile0, file1, file2, ...ってつけるのじゃだめなのかな?特別に名前をつけたいものだけつければいいじゃないか。
- そういう発想でOSとかプログラミング言語を作ったらどうかな、と今思いついた。思いついただけだけど。使いやすいと感じたりはしないだろうか。
2013.01.01- (書き途中)
- 僕はいくつかのプログラミング言語には、理想というか野望というか世界観があるように感じる。こうやってプログラムを作っていけば、どんどんできることが増えて、ついには何でもできるようになるよね?みたいなものを。
- というかそれが構造化プログラミング言語の共通理念かもしれない。
こめんと欄