* 2018年01月
* 2018年01ページ
-(by [[K]], 2018.01.09)

** 2018年01月09日(火) #00 時代を超越するには
-時代を超越しているものは素晴らしい。時代を超越しているから、一過性のブームにはならず、継続して役に立ち続ける。私もできることなら時代を超越したものを作りたい。
-では、そういう時代を超越したものはどうやったら作れるか。それを考えてみて、いい方法を思いついた。それは5年前、10年前の技術でもアイデアさえあれば作れるかどうかを自問すればいい。
-もし10年前の技術では実現不可能なアイデアであれば、それは時代を超越していない。時代に依存している。今になってやっと実現可能になったアイデアであって、それは10年後には他のアイデアに上書きされるかもしれない。
-まあ時代を超越しないアイデアだからといって、それがダメだということにはならない。単に時代を超越していないだけ。

-これを考えた後で、OSECPU-VMのhh4について考えてみると、本当にあれは良くできている。レンジコーダも、それどころかハフマン圧縮すら使ってない。すごくシンプルで誰でも思いつきそうなものなのに、効果絶大。しかも拡張性まで担保されている。
-だからこそ、あそこまでうまく行ったんだなーと。

** 2018年04月04日(水) #00 高齢者は残念になったのか?
-小5児童、高齢者が泣く赤ちゃんにキレるのは「とても残念」投書に反響
-https://news.biglobe.ne.jp/domestic/0402/jc_180402_3257647205.html
-一般的な傾向としては、人は年を取ると短気になって我慢できなくなるという傾向があるのは本当だと思う。だからこれはしょうがないという見方はありうる。でも僕はそれだけじゃない気がする。
-第一次ベビーブーム、第二次ベビーブームという現象がある。ちなみに僕は第二次ベビーブーム世代で、僕の親は第一次ベビーブーム世代に当たる。要するに、特定の世代の人口が多いだけなのだけど、そのせいでその世代は優遇されてきた。
-どういう意味かというと、まず選挙のときは政治家はその世代に媚びを売る。だってこの世代を丸ごと敵に回しては、選挙を戦えないから。・・・また商品開発も、主にここをターゲットにする。なぜならその方がたくさん売れるから。
-僕が子供のころ、子供向けのおもちゃは今よりもたくさん売っていた。CMでも子供向けのものは多かった。でも今は違うように思う。今の子供たちは、「自分たちは主役ではない」となんとなく感じていると思う。そうなのだ、君たちは主役ではない。でもきっと同時にこう思ってもいるだろう。「あと30年して自分たちも40代になれば、そのころには自分たちのほしいものがたくさんあるようになるだろう」と。しかしたぶん残念ながらそうならない。そのころには商品開発のターゲットはなんと70代向けになってしまっているのだ。・・・なんとかわいそうなことだろう。今の10代には何の罪もないのに!
-この構図で考えると、最近増えた高齢者は第一ベビーブーマーであり、つまり彼らは生まれてからずっと世間から優遇されてきたのだ。甘やかされてきたのだ。だからそれが当然だと思っている。そんな感覚のまま高齢者になったら、「なんだか最近、高齢者がわがままになっているんじゃないか?」と他の世代から思われてしまうのは、当然じゃないかという気がする。
-つまり高齢者が残念になったのではなく、残念な世代が高齢者に加わっただけなのだ。
-他の世代はもっとつつましく生きているんだ。ベビーブーマーはそれを自覚しなければいけない(もちろん第二次ベビーブーマーの私も含めて)。

** 2018年12月29日(土) #00 自分が凡人かどうかを見極める簡単な方法
-ここに面白い記事がある。
--凡人が、天才を殺すことがある理由。  どう社会から「天才」を守るか?
--http://yuiga-k.hatenablog.com/entry/2018/02/23/113000
-この記事を読むと「天才」「秀才」「凡人」の3すくみ的な関係が図示されていてとても面白いのだけど、まとめるとこうなる。
 天才は、秀才に興味がなく、凡人には本当は理解されたいと思っている。
 秀才は、凡人を心の中で見下していて、天才を妬みつつもあこがれている。
 凡人は、天才を理解できないので排除したいと思っており、秀才を天才だと勘違いして尊敬している。
-この記事では、この構図の中で天才が殺されずに活躍できるようにするためにはどうしたらいいのかを考察しているのだけど、私は違った応用方法を思いついた。

-もしあなたが、自分の理解できない奇行をする誰かを排除したいと感じているのなら、おそらくあなたは「凡人」である。もしそうでなければ、もはや少なくとも単なる凡人ではない。
-もちろん自分や社会に危害をなす恐れがある場合は排除したいと思うのは当然なので、それは勘定に入れなくてもいいと思う。もしその誰かができるだけ迷惑をかけないようにしているのであれば、それは許してやるべきだと私は思う。

-世間では「いじめ」という行為があって、それは集団で個人を過剰に攻撃するという卑劣な行為だと思うけど、これはまさに凡人が「理解できない人を排除する」ということを堂々とやっている事例であって、その中にリーダー格がいていじめを率いているとしても、そいつは完全に凡人である。自分では自分のことを秀才の端くれくらいには思っているかもしれないが。もちろんリーダ格以外の有象無象もすべて凡人である。
-いじめはよくないからやめようということになっているが、そのほかにも自分が凡人であることを証明してしまってとてもかっこわるいという面があるということだ。
-また天才の多くは、いじめをやるような人からはそっと離れるだろう。だって自分がターゲットにされたらたまらないから。こうして凡人は天才との接点を失い、よりいっそう凡人に固定化していくことになる。

** 2018年12月29日(土) #01 平均的な幸せ?
-幸せを感じる年収や通勤時間:統計からの回答
-https://wired.jp/2012/10/22/mf-happiness/

-私はこの記事になんかすごくネガティブな印象を受ける。・・・なんというか・・・「ふーん、だからなんなの?」みたいな。

-私はこのアンケートを受けていないので、これはまさに「他人の幸せの平均」を見せられたことになる。でもこれは何の参考になるだろうか。私は私の幸せの基準を自分で決めたい。他人がどう思っているかは全く関係がない。世間の平均と比較すると、自分の夢は大きいようだとか小さいようだとわかったとして、だからどうする?もっと夢を小さくしたり大きくしたりするべきなのか??そんなわけはない。
-むしろ私だったら平均値なんてどうでもよく、最大値や最低値が知りたかったかもしれない。そうすれば、こんなにいろんな人がいるんだ、自分はもっともっと自由に考えていいんだと思えてちょっとポジティブな気分になれるかもしれない(まあどっちにしても他人に影響されないので関係ないかもしれないけど)。・・・最大値や最小値は極端すぎて意味がないと考えるのなら、標準偏差でもいい。結局、幸せの定義なんて多様性を追求する方向に進むほうがいいに決まっているのに、なんでこう1つの目標に集約させようとするだろう。意図がわからない。
-みんなが同じようなことを望むようになれば、価値観の多様性は徐々に失われて、出る杭は打たれ、大きな進歩は望めなくなる。誰でも代用の利く存在になり、また優劣の比較も容易になって、格差や差別も起きやすくなるだろう。そんな未来のどこがいいのか私にはさっぱりわからない。



* こめんと欄

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