幸せな人とそうでない人
本の読者のブログを見ていたら・・・
- 自著の読者のブログを見ていると、賛否両論だけど賛辞のほうが多い、みたいな感じでした。まあこれはある意味当然で、本の内容がいいという根拠にはなりません。そもそもいい内容だと期待した人しか読まないので、その分、母集団が中立ではないからです。
- その批判的な人のブログと肯定的なブログを交互に見ていると、何となく傾向らしきものが見えてきました。もちろんこれは全体的な傾向であって、すべてが当てはまるわけではありません。
- 批判的な人は自分の考え方に固執しています。さしたる根拠もなく(後述)、「プログラムはこうでなければならない」みたいな狭い持論を持ち(というか世間のくだらない風潮に流されているだけにも見えるけど)、それに僕のプログラムが合っていないからという理由で「この本はダメだ」といいます。ひどいです。
- もう少し前向きで力のある人は、自分の流儀に合うように修正を試みます。しかし力が及ばず、バグを含む結果になり、うまくできません。それでやる気をなくし、責任転嫁して「この本はダメだ」といいます。やっぱりひどいです。
- さらに力のあって、無事にうまく自分流に書き換えられた人でも、変なことを言う人はいます。自分が書き直したOSがなんとなく遅かったりした場合、それはこの本がいけないとか、初心者向けOS自作の限界だよな、とかいうのです。そりゃないよ〜、本の内容そのままなら速いんだって。自分で改悪しておいて、それに気づかずに僕のせいにするっていうのはアリなの?それはひどいよー。
- 当たり前ですが、さらに力があって、性能を落とさずに自分流に直せる人や、もしくは性能を落としてもそれが自分のせいだと自覚している人は、本の批判をしません。だから問題はありません。
- 読者がプログラムを批判するよりどころは、インデントが深いからダメだとか、関数名や変数名のつけ方が不適切だとか、関数の分け方が気に入らないとか、オブジェクト指向になっていないからいやだとか、まあそんなところです。それぞれの批判は正しいのです。
- しかしこれはすべてプログラムのソース、つまり設計図の話です。設計図において、寸法の書き入れ方が気に入らないとか、部品番号の番号のつけ方が気に入らないとか、そういうレベルの話です。
- でもどんなに完ぺきな設計図が書けたとしても、それでできるOSが超おんぼろだったり、バグ持ちだったり、設計図の流儀に悩むあまり図面が完成する前に放り出したりしてしまうというのは、果たして「改善」といえるのでしょうか?その程度の人が他人の流儀に口出しする資格があるんでしょうか?自分が自分に課した制限のせいで挫折するのなら、自分はまだ未熟であったと負けを認めるほうがよっぽどよいように僕は思います。・・・少なくとも僕は、自分の流儀のせいで苦労することがあったとしても、それを他人のせいにすることはありません。
- 一方、全面的に肯定的な人もいます。こんな書き方でもここまで作れるんだと感心する人もいますし、そもそも他の書き方なんて見たことも聞いたこともないので、こんなものだろうと思う人もいます。こういう人たちは批判的な人たちよりも柔軟なのでしょう。
- さて同じ本を読んでみて、それを楽しめる人と楽しめない人がいるわけですが、どちらが幸せでしょうか。どうせなら楽しめた人のほうが幸せではないかと僕は思うのです。荒探しだか墓穴堀だかは分からないけど、とにかくあれこれ文句をいいながらしか読めない人は、かわいそうだなあと思うのです。かわいそうな事態になった原因の一部はもちろん僕にあるわけですが、しかし多くの人は抵抗なく受け入れている内容でもあるのですから、僕だけに原因を押し付けることはできないと思います。
- 批判的・肯定的の分かれ道は、プログラミングスタイルだけではありません。文章の調子についても同様です。こんな書き方だから読みにくいという人と、こんな書き方だから挫折しないですんだという人の数は、ほぼ同じくらいです。そしてこれらはどちらも少数で、大多数はどんな書き方でも別に構わない、という人のようです。
- これについても、柔軟な人たちは幸せで、そうでない人は自ら受け入れられる文章を狭めているわけですから、かわいそうだなあと思います。
他のブログを見ると・・・
- 読者のブログには他の日々の内容も書いてあることが多く、それをみると柔軟な人は他の事柄に関しても柔軟に対応していて、批判的な人(というか自分のやり方に合っていないとすぐに拒絶する人)は他の事柄に関しても噛み付いてばかりいるように見えました。もちろん例外もいくつかありましたので、すべてがそうであるというわけではありませんが。
- その中には、えええ!こんなに非の打ち所のないものまで批判するの?!とか、それはお門違いじゃ・・・とか、思うものもありました(確かにそれはひどいなあと納得するものもありましたが)。
- そういう何でも噛み付き屋さんが僕の本にいろいろ文句を書いていたとしても、それはあまりに気にしないことにしました。・・・いやその、僕は本を読んでくれたのに満足してもらえなかったようだと、ものすごく申し訳ない気持ちになっていたのです。今さら気に病んだところでどうしようもないのですが、それでも気になるのです。それで一喜一憂していたのですが、なんでも批判屋さんとか理不尽な批判に対しては、それほど気に病まなくてもいいかもしれないと、そう思ったわけです。
- それで、これって性格なのかなあと思うようになりました。もしそうだとしたら、幸せになりやすい性格と、そうでない性格ということになるでしょうか。僕はどうせなら幸せになりやすい性格でありたいなと、そう思いました。
こめんと欄