格差社会について
(0) 背景
- なんか最近なんでも「格差社会」のせいにする人がいる気がする。世論というか流行なのかな。それがすごく気になるので、忘れないうちに思ったことをメモ。
(1)
- まずは格差社会という言葉の定義みたいなものを大雑把に考えてみたい。ようするに、お金持ちの家に生まれた子供が将来お金持ちになり、貧しい家に生まれた子供が将来も貧しい生活を強いられる、みたいなことを指しているんじゃないだろうか。これに似た言葉で「勝ち組・負け組」なる言葉もある。これらは結局同じようなものなのかな。
- もし本当にお金持ち・貧乏が能力に反して世襲されてしまう傾向が強いとしたら、それは確かに問題だと思う。しかし、能力に則しているのだとしたら、僕はさして問題だとは思わない。
(2)
- お金持ちの家は教育にお金をかけ、結果的に子供も高い能力を身に付ける傾向がある、ということはありうると思う。そしてこれは基本的にはいいことだと思う。これがあるから格差社会になるのだという人はいるかもしれない。でも逆にお金持ちの家がお金をかけても高い能力が身につけさせることができないとしたら、その家庭教師・学習塾・学習教材はいったいなんなのだ?ただの詐欺じゃないのか?そんな世の中が健全なのか?
- 問題はお金持ちがどんどん先に行ってしまうことではない。先に行くのはむしろいいことなのだから。そうじゃなくて、貧乏な人が追いつけなくなることのはずだ。
- そこで僕は疑問に感じる。はたして貧乏な人が格差社会はけしからんというとき、そのひとは一生懸命に勉強したのだろうか。お金持ちは少ない労力で大きな学習成果を上げるためのなんらかの教材を買っているだろう。だから「あいつと同じくらい勉強したはずなのに追いつけない」のは当たり前である。同じくらいではなく明らかにそれを超えるほどがんばったのにそれでもダメだったのだろうか(勉強は時間だけではない、手法の工夫も含む)。そうだとしたら、確かにその人には格差社会を批判する資格があると思う。
- そうではなくて、ろくに努力もしてこなかったくせに格差社会のせいにするのは、ふざけている気がする。本当は自分のせいなのに、それを社会のせいにして自己正当化したいだけなんじゃないか。
(3) 正社員と非正社員
- 格差社会の話では、お金持ち・貧乏の結果的な世襲傾向だけではなく、正社員・非正社員の賃金格差の話もよくある気がする。同じような仕事をしているのに賃金が違うのはなぜだ、けしからん、みたいな話だ。そして仮に非正社員の人が「このままじゃいけない!」と思って少しずつ勉強して資格をとって転職しようと思っても、あまりに賃金が少なくて自由な時間が持てず、勉強時間が持てない、かといって仕事時間を減らせば生活費が不足して死んでしまう・・・といったストーリーが典型的だと思う。
- 要するにこの人は悪くないのにそれに手を差し伸べられない社会はひどいよね、とかいうことなんだと思う。ワーキングプアともいうのかな。
(4)
こめんと欄