他人から好かれることや評価されることを重要視する人たち
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- とあるサイトで、「女性専用」(たとえば女性専用車両)ってくだらないよな、みたいな話題が合った。しかしここではそれ自身はどうでもいい。・・・そのサイトで男性vs女性のコメント合戦になり、激しいののしりあいになった。で、女性の最後の捨て台詞は、こんな内容のものだった。
- そんなのはモテない男のヒガミだよ。そんなことを言っているから、はやりの遊び場にもリゾートにも縁がなくて、親に嘆かれて兄弟には疎まれて親戚には肩身が狭いんだよ。
- 僕はこの捨て台詞に感動してしまった。なんとまあ僕にとってどうでもいいことのオンパレードなんだ!それでこのページを書く気になってしまった。
(1)
- モテるかどうか、はやりの遊び場やリゾート、親に嘆かれる、兄弟から疎まれる、親戚に肩身が狭い、・・・どれも本当にいいとか本当に正しいとかそういうこととは全く関係のない、きわめて相対的なものだ。この女性(まあ本当に女性なのかどうかは定かじゃないけれど)から見れば、「それでも地球は回っている」と言ったのは、バカにしか見えないのだろう。
- もちろん本当に正しいことなんか結局分からない。だからガリレオが賞賛されるのは今の時代だからであって、遠い将来はより深い観点からガリレオは間違っていたということになるかもしれない。だからそんな不確かな「本当に正しいこと」よりも「身の回りのみんなが正しいといってくれるもの」に従うべきだという考え方はもちろんありえる。そこまで考えた上で、相対的な評価を重んじるというのならまあ少しは理解できる。でも(0)の文章だけからそういう深遠な思考が背後にあったのではないかとは、僕には想像できない。
(2)
- 結局この人は付和雷同的な存在であるべきだと考え、世の中を少しでもよくしたいとかなんて微塵も思わないのだろう。みんなが世を良くしていこうと思っているときは従うけど、逆に進んでいるときもその流れに従ってしまう。こんな人間が役に立つとは僕には思えない。こんな人間を生かすために税金が使われたりすることがあればそれは損失だと思う。
- そして当の本人は僕などにこんなふうに思われることをきっと想定していない。むしろ周囲から認められる自分に満足して、自慢しているつもりなんだろう。それを想像するとどうしても笑ってしまうというか、あきれてしまうというか・・・ここまで徹底して僕の嫌いな人間像にはまっていると、むしろ感動してしまった。
- でもまあきっと僕がこんなことを言っているとその人が気づいても、僕にも「モテなくて流行遅れでみんなに好かれない男性」というレッテルを貼れば、その人にとっては解決なのかな。そうかもしれない。まあ僕としてはできるだけこういう人と係わり合いにならなければいい。きっと向こうもそう思ってくれるだろう。
こめんと欄