最高の思考力ゲーム
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- 世間ではスポーツとひとくくりにしてしまうけど、僕はたとえば短距離走や重量挙げは野球や柔道とは違うと思う。どう違うかというと、短距離走は単純かつ純粋に足の速さを競争しているし、重量挙げも重いものを持ち上げる能力だけを純粋に比較しているけど、野球や柔道はいろいろな要素があって、その総合力みたいなもので比較している競争だと思う。
- でもそういう運動能力って、仮に歴史上の一番になっても、所詮は人間の中での一番に過ぎない。チーターのほうが足は速いし、ゾウのほうが力持ちだ。それに生物に限定しなければ、車やクレーンには勝てない(勝負にすらならない)。だから勝ってもそれほどすごくはない。
- では他の動物や機械でも勝てないような、つまり人間が最強の分野で最強を決定するというのはどうだろう。僕はこれにはすごく興奮する。最強の人を無条件に尊敬するし、最強じゃなくてもトップクラスになるだけでもすごい(・・・といいつつ、僕はスポーツ選手でも尊敬してしまうので、僕が尊敬するかどうかはあまり基準になっていないんだけど)。
- 人間が最強の分野といえば、それはもちろん思考力だ。囲碁や将棋なんかどうだろう。これらは、コンピュータでもまだ最強の人間には勝ててないし、マージャンやトランプのように運に左右されることはなく、相手の手の予想などの確率の入り込む余地もなく、強ければ強いほうが勝つ(もちろん体調とか調子とかはあるかもしれないけど、体調がよくないというのは要するに弱くなっているいうことだ)。うん、なかなかいい。
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- さてこの手のゲームはなにも囲碁や将棋だけではない。チェスも五目並べ(連珠)もオセロも該当する。どれもいいゲームだけど、思考力競争という観点でこのゲームの優劣を強引につけるとしよう。
- まずルールが単純で例外が少ないものはいいゲームだと思う。もちろんルールを複雑にすればそれだけ難しいゲームにはなるだろう。だから思考力競争という目的にはそれでいいといえばいいのだけど、ルールを理解するのが難しくなれば、それだけ参加障壁は高くなって、弱いもの同士の比較は困難になる(ルールすら理解できなければ、そのものたちの間での思考力競争はできない)。
- 次に、勝負がつくまでの最長時間が長すぎるのも考えものだ。一手に10分かけていいとして、500手以内に勝敗が決まるなら、最長でも83時間で終わるわけだ。でもこれが100手以内で終わるならもっといい。しかし早く終わりすぎるのも問題が無いわけではない。たとえば仮に1手で勝負を決められるゲームがあったとしよう。このゲームの場合、ほとんど思考力がなくても適当にルール上許される一手を指しさえすれば、いきなりそれで勝利になってしまう。つまりこれは、思考力競争としては正しくない結果なのだ。このような誤判定を完全になくすことはできないが、その確率を十分に下げるためには、やはりある程度の手数が必要だと思う。