過度の「かわいそう」はよくない?
(1)
- 動物の生態を紹介した番組を見ていて思う。オス同士はメスをめぐってかなり激しく戦う。激しいけんかをしない動物もいるけど(平和的?)、それはここではとりあえず除外して考える。とにかく激しく戦う動物が確かにいる。しかもこれは限られた種にしか見られない珍しいことではない。
- そんな暴力が認められる動物の世界であっても、オスがメスに暴力を振るうことはない。あれだけ強いオスなら力ずくでも自分の子を生ませようと思えばできそうなものなのに、そういう行動をする動物を僕は見たことがない。・・・それともそういう動物もいるけど少なすぎて知られていないのだろうか。それともそういう光景もあるけど、教育的配慮からテレビなどでは紹介されないのだろうか。・・・うーん、わからない。わからないので、とりあえず、勝手に想像で補完せずに、動物界には強姦みたいなことをするものはいないか、いても極めてまれであると仮定したい。
- しかし人間の世界では強姦は残念ながら珍しくはない犯罪であると思う。これはなぜなのか。
(2)
- また、動物の世界ではメスが配偶者を選ぶ傾向が非常に強く、オスは選んでもらえるようにアピールするのが常なのに、人間の世界では必ずしもそうではない。むしろ古風な考え方では、男性から結婚を申し込むみたいな考え方のほうが、東洋でも西洋でも多い気がする。それと関係がありそうなのが、女性はやたらと着飾ったり化粧をしたり外見を綺麗に保とうと努力することである(もちろん男性でも身なりを気にする人は少なくないが、全体的な傾向として女性のほうが熱心である)。これは動物の世界では「選んでもらう側」のオスが必死にやることであって、メスはやらない。
- あれ?でも、古風な考え方では、一人の女性に複数の男性が結婚を申し込んで、さらには贈り物とかもして、それで女性に選んでもらうというのもありそうだな。竹取物語なんてまさにそんな感じだ。そう考えると、やっぱり女性が選ぶというのが人間でも基本なのだろうか。
- わからなくなってきたのでこれについてはとりあえず保留する。
(3)
- さて人間だけが強姦をするのはなぜなのかを考えてみた。仮説を考え付いた。
- 一つ目は、こうである。動物のオスには強い生殖本能が備わっている。これは自らの生存本能なみに強いことすらある(だから命がけでライバルのオスと戦うことがある)。しかしその生殖本能よりもさらに強いのが、メスを攻撃しない本能である。だから何があってもメスに対して暴力を振るってまで子孫を残そうとはしない。
- この本能は、どうしてここまで強化できたのだろうか。考えてみてほしい。突然変異などによって生殖本能が弱いオスが生まれることはあるかもしれない。しかしそんなオスは子孫を残すための努力が足りないだろうから、そういう遺伝子は早期に消滅し、残らない。また生存本能が弱ければ、生きるために全力を尽くさないので、やはり他の固体よりは遺伝子を残しにくい。だからこれらの本能が強化され維持されるのは当然なのだ。しかし強姦しないという性質が強化されるストーリーはこれほど明確ではない。もし強姦することに何のためらいもないオスが突然変異によって現れたら、優秀なメスを相手にして、強くて健康でそして強姦をいとわないオスが各世代に残りそうなものである。
- でも実際の動物界はそうなってはいない。何か強姦社会が生存競争上不利になる要素を不可避的に持っているのだろうか。強姦するためにメスを傷つけてしまったら、無事に出産できる可能性が減るということだろうか。うーん、そうかもしれない。特に動物の世界では、メスが逃げ出してしまえば生殖はできない気がする。人間の犯罪者のように凶器で脅すこともできない。拘束することもできない。それでも強姦できるほどに(=抵抗したり逃げれなくなるほど)傷つけたら、出産にさしさわりがありそうだ。これは筋が通っている。
- 別の可能性としては、メスは強姦されたら子を産まないのかもしれない。もしくは生んでも育てないのかもしれない。このルールをすべてのメスが守らなくても、大半のメスにそういう傾向があれば、強姦するような遺伝子は後世には残らない。